2007年 01月 26日
「ありがとう」って意外と難しい
この本の論旨は、どんな小さな事にも感謝の気持ちを忘れず、必ず「ありがとう」を言おうというもの。日頃仲の悪い人にすら「自分のどこがいけないのかを教えてくれてありがとう」と感謝しよう、とも書いてありました。
折もおり、会社で、日頃お世話になっている人に「感謝の手紙を書こう」という「運動」が始まり、封筒とメッセージカードが3通分配布されました。
今日は早速そのうち1通を送る方が決まりました。20時までに仕上げなければいけない仕事を残業までして自ら手伝ってくれたベテランのおねーさんです。お手伝いいただいたおかげで無事仕事も仕上がり、今こうしてブログなんかを書いていられる訳で、もちろんその場でもお礼はいいましたが、感謝の気持ちは全部表しきれていません。この気持ちを忘れないうちにメッセージにしたいと思います。
問題は残りの2枚。モタ先生の考えに従うなら自分に対してひどい仕打ちをした人間に対してすら感謝の気持ちを持てれば幸せになる、ということなのですが・・・。
私はまだ2人の上司を許す事ができません。
一人は以前にこのブログにも書いた、東京地区での営業時代の上司です。彼の配下では、さんざんこき使われて私生活にまで干渉された挙げ句、異動の際には自分が最も望まなかった地方支店の営業に飛ばされるという仕打ちをうけました。この事は現在苦しめられているうつの原因のひとつでもあります。いま、同じオフィスにおり、たまにすれ違うことがありますが、それだけでこちらは非常にネガティブな気持ちに苛まれるのに、向こうはそんなにもまったく気づかぬ様子で「よう」などと気軽に声をかけてきたりします。改めて腹が立ちますよ、本当に。
もう一人は地方支店時代の2人目の上司です。彼が現在の部署への異動をお膳立てしてくれた訳で、そのことについては感謝していることは事実ですが、一方で実際にうつを発症させたのが彼である事もまぎれもない事実です。差し引きして考えた時に、まだ彼を憎む気持ちの方が強いことに改めて気づきました。
うつ発症に至るまでについては「うつについて」シリーズ(勝手にシリーズ化しちゃってますね。シリーズっていえるほどの内容ではないというハナシはちょっとおいときます)で改めて触れたいと思います。
彼らに対して寛容な気持ちになれないうちは、まだ自分自身の苦しみが消えないという事ですし、成長できていないという事なのでしょう。不惑といわれる歳まで、あと数ヶ月しかないのですが、まだまだ未熟な、迷いの多い日々が続いています。
by lemgmnsc-bara
| 2007-01-26 00:07
| うつ