2014年 07月 04日
『巨人軍最強の捕手―伝説のファイター吉原正喜の生涯を追う』を読んだ
日本プロ野球の草創期を駆け抜けたスタープレーヤー吉原正喜氏の伝記。
後に「打撃の神様」の異名をとる川上哲治氏は熊本工業時代は投手で、スカウトが吉原を見にいったついでに「まあ、こいつも採っておくか」くらいのノリで巨人軍入団が決まったというのはよく知られているお話ですね。川上氏の場合は投手としては使い物にならずに、主力選手の怪我というチャンスにも恵まれて野手に転向し、その後の活躍を生むわけですが、吉原氏は最初から最後まで徹底して捕手。しかも当時としては珍しい、俊足の捕手でした。内野ゴロが飛んだ際に一塁のベースカバーに走れば、一杯防具をつけているというのに、打者走者よりも早く一塁に到達したとか、ファウルフライを追いかけさせたら、それこそどこまででも追いかけ、コンクリート製のベンチに激突しても捕球するというガッツを持ち合わせていたとか、断片的な知識は持っていたのですが、吉原氏の人となりまでは寡聞にしてしりませんでした。
それもそのはず、彼は25歳という若さで戦死してしまったのです。野球と歴史に「タラレバ」は禁物、といわれていますが、もし吉原氏が生きていて思う存分活躍することが出来たら、プロ野球はもっと早く隆盛を極めていたかもしれません。それほどの人気選手だったそうです。
プレーもさることながら、私生活も天真爛漫。カネが手に入るとすぐさま遊郭に繰り出して、すっからかんになるまで遊びまくったそうです。野球選手にしておくのはもったいない(笑)。これもタラレバですが、もしも幕末に生まれていたら元勲に名を連ねるくらいの活躍をしたのではないか、と思わせるくらいの豪傑ぶりでしたね。
優れた資質を持つ選手であればあるほど、日本球界ではなく米MLBを目指すことが規定路線となってしまった現在においてこそ、日本球界には吉原氏のような存在が必要なのだと思います。プレーも一流なら遊びも一流。のみならず、味方を元気付けるために精一杯声を出して盛り上げたり、ちょいとしゃれたことを言って笑いをとってみたりもする。野球以外の余芸に長けた人物は多々いますが、そういう皆さんはなんとなく「チャラい」。野球の実績が伴ってこそ、余芸も生きてくるのだということを体現していた人物だったようです。
川上氏が鬼籍に入り、長島・王の全盛時代も遠い昔、日本のプロ野球が最高峰ではないという現代の野球界をみたら吉原氏はどんな思いを持つのでしょうか?案外「わしも海外に撃って出たるバイ」とか言いながら、堂々とホームベースの後ろで捕球姿勢をとるような気がします。
by lemgmnsc-bara
| 2014-07-04 20:07
| 読んだ本