2010年 05月 28日
『サイコ』鑑賞
アルフレッド・ヒッチコック監督、アンソニー・パーキンス主演のサイコホラー映画。この分野の草分け的存在の作品としてあまりにも名高いですな。この作品も「古典」として様々な映像作品やドラマ、コントなどでパロディーの元ネタになっていますね。多重人格モノの元祖でもあります。
ストーリーはいまさら紹介するまでもなくあまねく知れ渡っておりますので、今回は感想のみを書き記すこととします。
大金を持ち逃げした女性が、寂れたモーテルに泊まり、そこで殺されてしまうのですが、この横領事件と殺人とはまったく関係ありません。ただ単にモーテルの経営者である主人公ノーマン・ベイツ(アンソニー・ホプキンス)の中の「母親」が殺すことを決意したから殺すだけ。横領する場面や逃走シーンなどがかなりのウエイトで細かく描写されていたので、何か伏線があるのではないかと思っていたら、何もないという少々拍子抜けする結果。ただ、この逃走途中でまったく関係ない人間が介入してきて、しかも逃走人物に害をなす、という展開そのものにはちょっと引っかかりを感じました。どこかで同じような展開を見たんですよね…。思い出しました、『パルプ・フィクション』です。マフィアに負われたボクサー、ブッチが逃げ込んだ先がサディストのホモの巣窟だったという展開がそのまんま当てはまりますね。さすがは希代のパロディスト、クエンティン・タランティーノ。見事にパロってくれちゃってます、って本当のところはどうだかわかりませんが、無理矢理そう結論付けちゃいます。
父を早くに亡くし厳格な母親に長年に渡って支配されてきた主人公がその母の死を受け入れることが出来ずに、その人格を自分の中に取り込んでしまう、という展開も、いまやサイコ・ホラーの定番とすらいえる筋立てですな。この設定は父親不在とそれによる母子(特に母と息子)の癒着が叫ばれて久しい、日本の核家族の問題点を描き出すのによくなじんでいると思います。ヒッチコック監督が現代日本の病んだ姿を意図して描いていたわけではないでしょうが、図らずも、そうなっていますね。
ラストシーンのノーマンがカメラ目線でニヤリと笑うシーンが凄い。背筋がぞくっとする怖さがありました。どんな怪異よりも魑魅魍魎よりも一番怖いのは人間だということに改めて気づかせてくれるような凄惨な笑顔でした。この笑顔を観ただけでもこの映画を観た価値があるというものです。
by lemgmnsc-bara
| 2010-05-28 14:59
| エンターテインメント