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映画であった本当に怖い話【追加写真収録1・2電子特別合本版】 (角川文庫)

永田 よしのり/KADOKAWA / 角川書店

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私は霊感というものが全くありません。故に「ここには絶対何かある」とか、「なんだか知らないけど、ヤバい」みたいな感覚は味わったことはありません。好んでそういうモノが出現しそうな場所に行く趣味もないし、宿や住居も、幸か不幸か何かが出ると噂のある物件には当たったことがありません。幼い頃は訳もなく暗がりが怖かったり、『うしろの百太郎』や『恐怖新聞』を読んで一人で寝るのが怖くて両親の寝室にもぐりこんだりしましたが、今は毎日会社に行くのが一番怖い(笑)。

とはいえ、恐怖という感情の生じ方に興味があるし、どのように表現したら恐怖がより効果的に伝わるのか、ということにも大いに興味がありますので、怖い話を見聞きするのは好きです。ミステリーの一つの手法として、この世のものならぬ存在を匂わせてそれを犯人にしてしまう、というものがありますが、そういう類の話も好きです。そういう話が得意な阿刀田高氏や高橋克彦氏の著作は出ると買いします。

というわけで、とある日にkindle本の検索ワードに「恐怖」という文字を打ち込んでみたところでてきた標題の書を衝動DL。映画の撮影現場で起こった様々な怪異現象を記してあります。

取り上げられた作品は全て、恐怖をテーマにしたもの。電波が飛び交い、様々な電子機器が多数存在する映画撮影の現場には一種独特の「磁場」みたいなものが発生して、それによって霊が集まるのではいかと著者は推測していますが、では恋愛ものだとかアクションものではそういった噂を聞かないのはなぜでしょう?

一つには、マイナスイメージを嫌う制作側がそのテの情報を握りつぶしてしまうこと。恐怖映画の場合は逆にそういう噂はいいスパイスとなって、ストーリーを彩るコンテキストの一つになりますが、その他のジャンルでは単なるマイナス要素でしかありません。実際には怪異が起こっていても、箝口令が敷かれているであろうことは想像に難くありません。

もう一つは、制作に関わる人全ての集団心理によって、何らかの怪異が認識されやすいということ。ロケ場所も「いかにも」って場所が選ばれるでしょうし、視覚的にも音楽的にも恐怖を煽るような表現をなすのが目的なわけですから、敏感になった神経が、何かを感じ取った気にしまう可能性は大いにあります。

そうは思いつつも、科学では説明のつかない現象とされてしまうものの全てがただの錯覚や思い込みだとされてしまうのもつまらない。本当のところはどうなのか、ってのは無理に明らかにする必要はないでしょう。怪しそうな場所には怪しいモノが潜んでいて、何かの拍子にそれが出てきてしまうのだ、と考える方が健全ですし、疲れないでしょう(笑)。

なお、作品の中に実際に訳のわからないモノが写り込んだものもあるようです。それがどの作品なのかはぜひ本文に当たっていただき、興味がわいたら実際に作品を観て見ることをオススメします。私は残念ながら、観たいと思った作品はありませんでした。



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by lemgmnsc-bara | 2017-10-15 17:16 | 読んだ本 | Comments(0)

ハルのゆく道

村上 晃一/天理教道友社

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今や日本代表、サンウルブズ両チームに欠かせない存在となったのが、この本の主人公立川理道選手。ラグビーライターの第一人者村上晃一氏による、立川選手の半生記が標題の書。

私が立川選手の存在を初めて知ったのは、彼が天理大学に在学している時でした。関西の大学ラグビー界では古豪として知られてはいたものの、「栄光の日々は遠い過去」という状態だった天理大学のラグビー部が突如として再浮上し、同志社や京産大などの強豪を次々と倒すまでの存在となり、正月の大学選手権にまで進出するという状況になったため、天理大学のラグビー部を意識せざるを得なくなったためです。

当時の天理はハベア、バイフという二人の外国人留学生を両CTBに置くという布陣を敷いていました。FWの二列目、三列目でプレーさせることが常識だったパワフルな外国人を二人ともCTBに起用するという斬新さもさることながら、その二人をランナーとして活かし切っていたのがSOをポジションとする立川選手でした。自分自身も骨太のガッチリとした体格ながら、闇雲に突っ込むのではなく、まずはCTBを活かすためのフラットかつ素早いパスを送る。これによってトップスピードに近いタイミングでパスを受け取った両外国人のパワーが炸裂する。で、CTBに意識を向けると、内側のスペースを外国人に負けず劣らずの力強さで立川選手が突いてくる。自分も含めてチームにとって最良となるプレーは何なのかの判断が常に的確であるという印象を持ちました。

もちろん彼と両外国人だけで勝ち抜けるほど関西大学ラグビー界は甘くはありませんが、それにしても立川選手のプレーが輝いて見えたというのも事実。大学在学中からジャパンに呼ばれたのも当然のことと誰しもが納得しました。で、彼の起用は2015年のあの感激に見事につながってくるのです。

立川理道という人物はどんなルーツからどんな環境を経て、今のような存在となったのか?村上氏の筆は余すことなくその過程を描き切っています。そして、立川選手の「ゆりかご」となった天理ラグビーの歴史についても、詳細に解説してくれているというお値打ち品でもあります(笑)。天理教は二代目の最高指導者の時代から、その精神を教義に取り入れ、教義の実現方法としてのラグビーに深い理解があるということがよくわかる内容となっています。ラグビースクール、中学、高校、そして大学まで指導の軸が一本ピシリと通っていながら、決して選手たちを厳しく束縛することなく強化していく。楽しい上に結果がついてくる指導法だというわけです。余談ながら、私の母校である高校が最後に花園に出た際に戦って負けたしてが天理高校であってことを思い出しました。

2015年の感激から早2年。サンウルブズでも日本代表でも、トップリーグのクボタスピアーズでも立川選手は厳しい状況下での戦いを強いられています。しかし、その試練は2019年に大輪の花を咲かせるための肥料であると信じましょう。



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by lemgmnsc-bara | 2017-10-15 11:10 | 読んだ本 | Comments(0)

ウルトラマラソン マン

ディーン・カーナゼス/ディスカヴァー・トゥエンティワン

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以前に紹介した『EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅』の姉妹本。出版社も著者も違うんですが、要するに、より過酷な条件の下で、より長い距離を走ることに喜びを見出す人が書いた自伝です。

こういう人は尊敬に値するとは思いますが、私はこうなりたいとは思いません。基本的に走ることが嫌いだからです。ラグビーみたいに、そこにボールがあるとか敵がいるとかいう「目的」があれば話は別(最近はそこにボールがあっても敵がいても、前にもまして走れなくなっちゃいましたが…)ですが、ただ走ることを目的に走る。あんな苦しいことを誰が目的にしようってんでしょうか?

ところがどっこい私にとって理解不可能なことに、マラソンランナーってのは多いですね。トラック種目の10万mからフルマラソンまで、アスリートは山ほどいるし、ただ単にそこらを走り回ってる人も多々います。なにを好き好んであんな苦しいことをやろうとするんでしょうか?

この本の著者などはそのなかでも指折りのマゾヒストだと言えます。ふつうなら20人程度の人数で走るウルトラリレーマラソンを一人で走りきってみせるわ、寒暖の差が30度もあるような砂漠を走るわ、しまいには南極点に行ってまでフルマラソンを走ったりします。ただ走るだけでもシンドイし、南極の極地点近くにいくだけでも命の危険があるというのに、その悪条件を二つも三つも重複させようってんですから、人知を超えたマゾヒストであるとしか言い様がありません。

一体何のためにそこまでして走るのか?襲い掛かる苦難を乗り越えた後に得られる満足感が何物にも代えがたいからだそうです。これだけの困難を乗り越えれば他人からの賞賛も絶大なものとなるでしょうが、それはあくまでも副次的なことで、とにかく自分自身に打ち克ったということが一番の賞賛なのだとか。いやはや。

私にはこんなこと到底できそうにないし、やろうと努力する気にもなれません。ただし、小さくても良いから自分自身に打ち克とうとする努力だけは続けていくべきなんだろうな、ということだけは感じました。トレーニングしかり、文章書きしかり、種々のお勉強しかり。会社の仕事だけはゆるやかな下り坂で結構(笑)。次の一歩を踏み出すための努力だけは続けて行きたいなぁ…。

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by lemgmnsc-bara | 2017-10-06 20:21 | 読んだ本 | Comments(0)

EAT&RUN 100マイルを走る僕の旅

スコット・ジュレク,スティーヴ・フリードマン/NHK出版

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何故買ったのかわからない一冊。おそらく日替わりのバーゲン書籍としてラインアップされていたのに釣られてしまったのでしょう。なにしろ、内容はウルトラマラソン(通常のマラソンの4倍近くを走ることになる100マイルマラソンが主な参加レース)のランナー、スコット・ジュレク氏のお話なのです。

超肥満体で、しかも根性なしの私がもっとも嫌うのが長距離走。ラグビーを真剣にやるようになってからは、それでも多少は走るようになりましたが、フルマラソンはおろか、10km走るって考えただけでも気が遠くなりそうです。おそらく10kmを走ったのは、高校時代の校内マラソン大会が最後でしょう。さて、著者はそのウルトラマラソンを走ることに無上の喜びを覚えるという、私の思想信条からすれば思いっきり変な人です。実際に彼も彼のライバルたちも、周りの人間からは変わり者だと思われていることが多いようです。著者自身がそう書いていましたし、ランナーが走るときに脳内に分泌されている物質は、薬物などと同様の多幸感(いわゆるランナーズ・ハイ)をもたらすそうですので、元薬物中毒者、という方も多いそうで、ますますもって近寄りがたい方たちです(笑)。

著者は、自分にはフルマラソンでチャンピオンになる速さはないが、距離が長くなればなるほど強いランナーであるとの自覚を持ち、ウルトラマラソンに挑戦し、数々の大会で優勝したり、記録を打ち立てたりします。十分にトレーニングを積み、食事にも気をつけて、なおかつ、走っている最中に襲ってくるさまざまな雑念を払い、アップダウンが激しかったり、昼夜で気温が激変するような過酷な環境にもめげず、重篤な怪我にも負けず、トップでゴールすることを目指すのです。

ここで、驚嘆したのは、とにかくあきらめないという強い気持ちを持ち続けられるメンタル面の強さです。私も近所の公園を走ったりしますが、たとえ3周(1周1km強)走る、と決めて走り始めても、最初の1周で早くも「3周走ろうかな、それとも1周でやめちゃおうかな」という雑念がよぎります。次には体の痛さ。いつもの通り、左の踵が痛いな、おや、今日は大臀筋まで痛いぞ、あれ、右のひざまで痛くなってきた、腰にも張りを感じ始めたぞ…。とにかくサボろう、サボろうという気持ちが間断なく襲ってきます。ウルトラマラソンなんてのは文字通り一日中走り続けるわけですから、こうした悪魔の囁きを丸一日聞き続けることになります。とてもじゃないけど私には抗いきれません。これだけでも尊敬に値しますね。

さらに、足の指の骨折や、じん帯断裂などの、救急車で運ばれても不思議でない怪我をレース中に負っても走り続け、栄冠を手にしてしまうことも少なからずあったようです。いやはや。「人種」が違うとしか言いようがありません。

さらに、彼はヴィーガンでもあります。すなわち、植物性の食物しか摂らないという、筋金入りの菜食主義者です。肉も魚も卵も乳製品も摂らずに何故こんなにスタミナが持続するのでしょう?著者は、実際に自分が食べている料理のレシピなども詳細に紹介しながら、ヴィーガンになるに至った経緯を明かしています。この食生活も私にはまねできそうにありません。

そんなこんなで、私とは、丸っきり思想信条も生活態度も正反対の人物の自叙伝でした。こういう生活はアスリートとしての究極なのかもしれませんし、片岡鶴太郎氏のように不健康なまでに健康な体を作り上げるには有効なものなのかもしれませんが、私には絶対無理(苦笑)。せいぜい、晩酌のつまみを揚げ物から魚肉ソーセージにするとか、間食をなくすとか、走る距離を少し伸ばすくらいのことしか出来そうにありません。それすらも辛いんですけどね・・・。

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by lemgmnsc-bara | 2017-08-29 19:22 | 読んだ本 | Comments(0)

岳飛伝 八 龍蟠の章 (集英社文庫)

北方謙三/集英社

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岳飛伝も巻を重ねること8冊目。梁山泊軍、南宋、金国の三大勢力に、西遼、大理、南越等の周辺国の情勢も盛り込まれ、いよいよ事態は複雑化していきます。

とは言っても、実際の武力衝突はなく、やがて来るべき「決戦」を見据え、各勢力が様々な方法で力を蓄える姿の記述が中心となっています。

水陸ともに設備、体制を整え、商流の充実により「資本主義国家」として発達しているのが我らが梁山泊軍。英雄豪傑が集い、武によって民の暮らしを豊かにしようとした、作品開始当初からは大幅に方針を変更していますが、産業を興すことでそこに関わる民に益をもたらし、商流を発達させることで、得た益を有効に活用させる、という仕組みはまさに近代国家ですね。秦容が南越に作り上げつつある甘藷糖の生産基地に至っては老齢や怪我などのために戦の第一線を退いたメンバーたちの福祉施設とでもいうべき機能まで果たしています。

三大勢力の一角、南宋は秦檜のリーダーシップにより、中央集権国家としての体裁を取り戻しつつあります。最近ほとんど登場の場がありませんが、張俊という人物が率いる軍閥も依然として力を保ったまま。梁山泊軍にとっての最大の「仮想敵国」であることは間違いありません。

残る一つ、金国は目の上のタンコブとでもいうべき梁山泊を疎ましく思い始め、南宋との連携を模索し始めます。

そしてこのシリーズの主人公、岳飛は裸一貫の状態から、三千人の人員を従えて、再起ロードをたどり始めます。隣接していると言って良い、秦容の生産基地を訪問するなど、梁山泊軍との距離を縮めるのですが、この二つの勢力が合流するのか否か、現段階ではまだ明らかになりません。

いずれにせよ、物語はクライマックスに向けて、大きく舵を切ったというところでしょうか。目の離せない展開となりそうです。本屋の店頭には文庫版の第9巻が山積みとなり、10巻目の刊行も近いようです。電子版の出版が待ち遠しい、という感想を今巻の読了後にも感じました。



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by lemgmnsc-bara | 2017-08-13 14:46 | 読んだ本 | Comments(0)

清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実 (文春e-book)

鈴木忠平/文藝春秋

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覚せい剤使用で、自らの栄光の日々に泥を塗ってしまったのが清原和博氏。彼が一番輝いていたのは、高校時代の甲子園。こちらももはや昔日の輝きを失った(輝きも何も、野球部そのものがなくなっちゃいましたね…)高校野球の名門PL学園で1年生から4番に据わり快打を連発していた頃です。

彼が在学中の甲子園は5度。そのすべてに出場し、うち二回は全国優勝を遂げました。彼個人としては13本のホームラン(これは現在に至るまで高校球児が甲子園ではなったホームランの最多記録であり続けています)を放ち、「天才」、「怪物」の名をほしいままにしていましたね。

標題の書は、清原氏にホームランを打たれた人の投手たちの「それまで」と「それから」を描いたルポルタージュ集です。これに記事が掲載されたらまずメシの食いっぱぐれは無いといわれている一流スポーツ雑誌「Number」に連載されたものを集めて編んだ一冊です。

清原選手に本塁打を打たれた投手は9人。9人の高校球児がいれば9通りの野球人生があります。彼らがどんな思いで日々を過ごし、甲子園を勝ち取ったのか?そして彼らの球をスタンドに放り込んだ清原選手はどんな存在だったのか?これを、清原氏の視点を一切交えることなく、すべて彼と相対した人物の視点で描き、清原氏の怪物ぶりを際立たせています。見事な構成です。のちにプロで対決することとなる投手もいれば、彼に打たれたホームランによって、その後の人生ががらりと変わってしまった投手たちの姿も描かれます。あの時の清原氏は一人の選手というよりも、高校野球界をゆるがした一つのムーブメントそのものであったと言えますね。実に大きな存在でした。

時たま間に挟まれていた高校時代の清原氏の初々しいこと。金髪にピアス、刺青に過剰なほどのマッチョ体型(その後ブックブクのおデブちゃんに変わっちゃいましたが…)という後年の姿からは想像もつかないような、ひたむきな野球少年の姿がそこにはありました。こんな野球少年がどうして薬物に手を出すような不良中年になってしまったのか…?やっぱりそこには桑田単独指名という驚愕の結果となった、ドラフト会議の影響を挙げざるを得ません。あそこで本人の希望通りに巨人に入っていたら…というifをどうしても考えてしまいます。後年、功なり名を遂げてFAで巨人入りしますが、チャンスに打てないでブーイングを浴びていたというイメージしかありません。巨人での最晩年は「番長」などと呼ばれて一部のマスコミに祭り上げられていましたが、トラブルメーカーでしかなかったような気がします。そこでのストレスが彼に覚せい剤という魔のクスリを選ばせてしまったのでしょう。過去が輝かしければ輝かしいほど、自分の現状が惨めに思えたのではないでしょうか。

今の清原氏は落ちるところまで落ちたという感があります。しっかりと更生して何らかの形で野球に携われる日がくるといいですね。





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by lemgmnsc-bara | 2017-08-06 19:00 | 読んだ本 | Comments(0)

極悪鳥になる夢を見る (文春文庫)

貴志 祐介/文藝春秋

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ホラー小説の第一人者貴志祐介氏の初エッセイ集。ご本人はおそらくこれが最初で最後のエッセイ集になるだろうと文中で述べてもいます。なんでもエッセイだと自分の文章を見ているのが恥ずかしくなるからだとの理由だそうです。


この感覚なんとなくわかるような気がします。この方はおそらくは非常に真面目なんだと思います。文中に時折織り交ぜるジョークの類も、真面目な人が無理矢理ひねくりだしたような感がありました。本人としては意を決して発したジョークなのでしょうが、文章全体の雰囲気から笑ってはいけないのではないかという、空気がかもし出されています。これは決してマイナスイメージではありません。非常に丁寧に作りこんでいるのであろうことが伺えるのが貴志氏の小説の特色であり、その几帳面さがそのままエッセイの文章にも反映されているというのが率直な感想。おかしなフレーズさえ氾濫させれば面白くなるってもんじゃありませんし、フレーズばかりが先行して内容がスカスカでもプロの作家としての名折れとなりますね。貴志氏が書きたい内容については、ヨタを交えずに書き切った方がおそらくは上手く読者に伝わるのだと思います。
いいんです、面白いフレーズは他の人に任せておけば。貴志氏の真面目なホラー小説は十分に面白いんですから。

文体のお話はさておき、興味深かったのは、貴志氏の作家になるまでの道のり。元々本を読むことが好きで、幼少の頃より外で遊ぶよりは読書を好む傾向にあったようですが、読書が好きなことと、自分で作品を書いてみたいという欲求の間には大きな壁が存在します。貴志氏も、一度は文筆の道をあきらめて保険会社に就職しますが、8年の会社生活の後、どうしても作家になりたいとい欲求に抗えずに、ご本人の言によれば「まったく先の見込みなどない」状態で、所得の面では安定極まりない会社を辞して作家となる道を選ぶのです。う~ん。この辺、文筆業に進みたいと思いながらも会社に恋々としがみついている私にとっては、わが身の度胸の無さを改めて思い知らされる条りです。

さらに、作家としての船出も決して順風満帆なものであったわけではなく、角川のホラー大賞を受賞するまでには数々の挫折があったようです。そうそう、最初から上手くいく人はそうそういるわけじゃないんです。ちょっとだけ安心しました。すでにホラー小説界で堂々たる「名跡」となっている貴志氏とまだ何も書いていない私とを比べることはそもそも不遜だ、というお話もありますがね…。気持ちが上がったり下がったり。こういう気分を味わわせてくれるだけでもこの一冊を読んだ価値があったと思います。

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by lemgmnsc-bara | 2017-07-29 05:21 | 読んだ本 | Comments(0)

トウガラシの世界史 - 辛くて熱い「食卓革命」 (中公新書)

山本 紀夫/中央公論新社

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久しぶりに読んだ「紙の本」。

著者山本氏は植物学の研究者から民俗学に転じたという経歴の持ち主。食品の歴史を研究し、その成果を本にまとめるためにいるようなお方ですね。というわけで、私の興味のど真ん中にもジャストミートしておりますので、いつかどこかのタイミングで衝動買いしていたのに違いありません。

よく知られているオハナシですが、トウガラシの原産地は南米です。それが欧州諸国の進出に伴い、商人の手によって持ち出され、高価であったコショウの代替品として広まり、中国やインド、韓国などを経て日本にまで伝わりました。ちなみにこれもよく知られていることですが、トウガラシは辛いものばかりではなく、ししとうやピーマンなどそのまま食べても大丈夫なものもあります。

トウガラシを多く使う料理として私が一番最初に思い浮かんだのはキムチですが、実はこのキムチが定着したのはせいぜいここ300年ほどの間だそうです。一説には、秀吉の時代の朝鮮遠征で日本兵が持ち込んだものが、韓国産トウガラシのルーツであるとのこと。意外なほどに歴史の浅い漬け物だったのですね。ちなみに韓国ではここのところ、キムチの消費量は減っているそうですし、若い年齢層には、自家製キムチをつくることを面倒くさがり、出来合いのモノで済ましてしまう人々も増えているそうです。日本でも嫁入り道具の一つにぬか床がラインナップされていた時代は遥か昔になってしまいましたが、韓国でも同じような自体が出来しているようですね。なお、現代の日本で一番生産量の多い漬け物はキムチだそうです。

中国も四川地方は辛い料理が有名ですが、ここでトウガラシが使われるようになったのは、韓国よりも100〜200年ほど後で、さらに歴史が浅い。18世紀にいたるまでトウガラシが出現する文献がないそうです。これがこの本を読んで一番意外に思ったことでしたね。

あとは、ハンガリーでパプリカとして独自の進化を遂げた一派に関する章が興味深かったですね。新婚旅行の際、オーストリアで夕食がフリーとなる日があったのですが、そこで当時のガイド氏に勧められたメニューの一つがグロールシュというスープの一種。これは和訳(でもないんですが…)するとハンガリー風スープと呼ばれるもので、パプリカをたっぷり効かせて牛肉を煮込んだものです。残念ながら、その時にいったレストランにはグロールシュはなかったのですが、このスープは欧州各国で、各言語で「ハンガリー風スープ」としてオンメニューされるほどポピュラーなものだそうです。パプリカは最近は日本でもちょっとしたスーパーに行けば手に入るようになりましたが、ハンガリーでは日本におけるミソみたいな存在のようです。

拡散の過程や年代についてはおぼろげなイメージを持っていただけでしたが、この一冊はかなり具体的に拡散ルートや各国の食文化との結びつきを解説してくれていました。なかなかためになるウンチク本だったような気がします。ついでに、トウガラシをたっぷり入れたうどんをすすりたくなりました。日本のように薬味としての使い方にほぼ限定されていたのは珍しい例だったようです。



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by lemgmnsc-bara | 2017-07-23 15:49 | 読んだ本 | Comments(0)

岳飛伝 七 懸軍の章 (集英社文庫)

北方謙三/集英社

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岳飛伝の7巻目。『大水滸伝シリーズ』全体としては終盤ですが、『岳飛伝』に限って言えばちょうど中間点あたり。今巻には戦闘シーンは全くなく、三つの勢力が来るべき「決戦」を見据えて、それぞれに力を蓄える姿が描かれます。

軍功多大だった岳飛を「処刑」(実際には岳飛は逃亡)した南宋は、宰相秦檜が中心となって、かつての宋の栄光を取り戻そうとしますが、内憂外患を地でいく状態。講和がなったとはいえ、いつその状態が破綻してもおかしくない金国、武力でいえば三勢力の中で随一の梁山泊軍が間接的なプレッシャーをかけている上、国内では岳飛亡き後最大の軍閥となった張俊軍の処遇が悩みのタネに。さらに皇帝の座を狙って、死に絶えたはずの青蓮寺勢力までもが暗躍し始めるのです。いやはや。フィクションとはいえ、某国の首相が同じような状況に放り込まれたら、病気を理由にさっさと逃げてしまいたくなるであろう状況です。

金国はリーダーである耶律大石の死期がいよいよ迫り、世代交代を迎えています。その中では梁山泊軍の一員であった、韓成の動きが気になります。前首領の楊令からの関係性を踏まえて連携する方向に向かうのか?それともあくまで単独で中原に覇を唱えようとするのか?これも三勢力の力関係が刻々と変化する展開の中では非常に読みにくい、それゆえハラハラさせられる状況です。

さて、我らが梁山泊軍はというと、「本社」である梁山泊の山塞にいる宣凱が組織としての機能を統制してはいますが、ますます「国」としてのカタチは拡散し、希薄化していっています。各人の心の中に「志」がある限り、どこでどんな形態であろうとも梁山泊という「国」はあり続ける…。現代における「国家」という枠組みすら超えているような概念です。

一方で秦容が南方の地で進めている農地の開拓が軌道に乗り始め、十万人の人間が住む街を作り上げるというプロジェクトが走り始めることとなります。甘藷糖を作るために、当時としては最新・最高の設備を作り上げ、そこに従事する人々がきちんと生活して行く施設と仕組みを作り上げる。物々交換が基本だったこの地の経済活動に通貨を導入する。生活用水の手配から下水の処理まで。元々が武の人であった秦容は、こうした活動も一つの戦いだと心得て、一つ一つの問題と向き合います。人々が安定した暮らしを営むための手段は、武力による統一だけではない、という主張がはっきりとわかる表現方法ですね。

主人公の岳飛は秦容が巨大な街を作ろうとしている地域に近い場所で、やはり新しい街を作って行こうとしています。軍の将であった姚明とともにたった二人でたどり着いた地でしたが、岳飛を慕う兵士たちがボチボチと集まりだし、今巻の終了時点では300人ほどの人員がいました。この仲間たちは新しい国作りを目指すのか?それともあくまでも軍としての復活を企図するのか?当事者同士は否定していますが、梁山泊への合流はあるのか?

あらゆる疑問と期待が提示された一冊でした。次巻の電子書籍化が待ち遠しい限りです。



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by lemgmnsc-bara | 2017-07-14 20:02 | 読んだ本 | Comments(0)

無私の日本人 (文春文庫)

磯田道史/文藝春秋

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映画『武士の家計簿』の原作者、磯田道史氏の中編集。三つの作品が収められています。この中の『穀田屋十三郎』という作品が映画『殿、利息でござる!』の原作となりました。

作品は他に『中根東里』、『大田垣蓮月』の二つ。三つの作品とも主人公の名前をそのまま題名にしています。名は体を表す、ではありませんが、各人の人生を見事に描ききっている三作は別の題名をつけようがないってな気がしますね。

さて、この三名が三名とも、歴史好きを辞任する方々でも「?」がついてしまう人物だと思います。それもそのはず、この方々、なにか素晴らしい業績を残した人物たちではなく、あくまでも市井の「無名な」人達です。ただし各々の生き方は非常に興味深い、ドラマチックなものでした。身分制度のあった江戸時代において、藩主にカネを貸し付けてその利息を毎年もらうことを実現させた穀田屋十三郎に、とにかく本を読むことを好み、儒学者として有り余る知識を持ちながら一切表舞台に立たなかった中根東里、幼少の頃から何をやらせても一流で、絶世のと称されるくらいの美貌を持ち合わせたスーパーレディながら、その生活は決して幸福ではなく、晩年に作った陶器が非常に優れた品質であったため、「蓮月焼き」としてわずかに名の残る大田垣蓮月。無名故に史料も乏しく、物語を紡ぎ出すには多大な労力を要したであろうことがうかがわれます。

主人公たちの生き方に共通するのは、自らの身を犠牲にして、その信じる道を突き進んだこと。そしてその信じる道を歩む道程において、その真心が周りの人々を動かし、大きなムーブメントを巻き起こしたこと。本人たちは決して裕福な生涯を送ったのではないことです。

作者があとがきで書いている通り、こうした人々の姿は、経済優先で「カネを持ってる奴が一番エラい」とする現実社会で息苦しさを感じている我々の心を一時の間、清々しくしてくれます。こうした無名の人々が持ち得ていた清浄な心持ちをいつ日本人は失ってしまったのでしょうか?経済の発展以上の損失は日本人からこうした美風が失われたことだと説く、作者の言葉はあまりにも重いですね。清々しくてやがて悲しき中編集。心がめげている人にオススメしたい一冊です。



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by lemgmnsc-bara | 2017-07-09 19:57 | 読んだ本 | Comments(0)

なんだかんだで読んだ本のことばっかり書いてます。たまに映画、時々食い物とドライブとラグビー観戦。