『交渉人・籠城』を読んだ

交渉人・籠城

五十嵐 貴久/幻冬舎

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私が、五十嵐貴久氏という類いまれなるエンターテインメント作家を知る事になったのは、書店でふと手にした『交渉人』という一冊を読む事によってでした。本作は、そのシリーズの三作目にあたります。主人公は警視庁の遠野麻衣子警部。ドラマ化された際はいずれ劣らぬ美女たちが演じた役柄でもあります。

さて、物語は110番に入った一本の奇妙な電話から始まります。電話の主は都内で喫茶店を営む福沢という男。この男がなんと自分の店の客を人質にとって籠城したと自ら電話してきたのです。110番の係官も読者が真っ先に感じるであろう疑問を福沢にぶつけます。「一体、何故そんなことを?」当然のことながら、物語の前半はこの謎を解くためのストーリーが展開します。

ヒロイン遠野麻衣子は、前二作に比べると、ずいぶんと「安定感」が増したような気がします。元々交渉人は沈着冷静で、細心かつ大胆な交渉で犯人と丁々発止やりあう事が職務。前二作では警察という「男」の社会のなかで戦う女性としての側面もかなり強調されていたのですが、今巻に関しては今までの「実績」がモノを言ってか、「女に何が出来る」みたいな先入観で行動する人物は登場しません。しかしながら、活躍する女性を快く思わない上司は登場します。そしてその上司は最初、麻衣子をサブの交渉人に指名するのです。ところが、そのメインの交渉人(当然男。かなり面倒くさいキャラクター)が、いきなり籠城犯福沢に店の中に引きずり込まれた(少なくとも傍目にはそう見えた)ことで、一気に福沢との交渉の最前線に立つ事となるのです。

さて、そこからは「ベテランの交渉人」としての麻衣子のウデの見せ所。前半最大の謎「一体福沢は何故こんなことを?」に対する答えを探しつつ、人質たちの安全を最大限に配慮しながら、事件を解決に向かわせるという、考えるだに七面倒くさいシチュエーションが展開していきます。

やがて、福沢の動機が明らかになっていきます。『交渉人』一作目の最後の最後まで謎を引っ張るような展開にはなりません。福沢の目的はやがて明らかになり、そして警察は彼の無茶な要求をのまざるを得ない状況に追い込まれます。そこで警察が講じた手段とは?現実の世界ではまず実現しそうにない手段だ、とだけ言っておきましょう。

そして最後の最後、どんでん返しが待っていました。一作目ほどの意外性はありませんでしたが、それなりに驚かされるものだった、とだけこちらについても言っておきましょう。あと一つ、犯人福沢は現代社会が持つ大きな矛盾の一つに翻弄された事によりこの籠城を思いついた、ということも述べておきたいと思います。

このシリーズも次回作が待ち遠しいものの一つです。今巻もドラマ化されないかなぁ…。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-30 21:02 | 読んだ本 | Comments(0)

『ベンハムの独楽』を読んだ

ベンハムの独楽 (双葉文庫)

小島 達矢/双葉社

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腰巻きの「第5回新潮エンターテインメント大賞受賞!」の文字に釣られて衝動買いした一冊。小島達矢氏という作家の作品を読むのは初めてです。「新潮エンターテインメント大賞受賞」作なのに双葉社文庫から出版されているのは何故か?これも一つのミステリーか?などと考えながら読み始めました。

題名となっている「ベンハムの独楽」とは白と黒のみで模様が描かれているにもかかわらず、回すと様々な色が見えてくるという、不思議なコマらしいです。この本に収められた作品たちも、日常のほんの何気ない瞬間の先に待ち受ける奇想天外な世界を描いたものたちでした。まさに言い得て妙な題名です。

ストーリー展開や結末が超常現象的になっているものもありましたが、それよりも現実に十分にありうるシュチュエーションを取り扱った物語の方がより迫真性が高かったような気がしますね。『スモール・プレシェンス』や『クレイジー・タクシー』などの展開は、周到に準備さえすれば、現実の問題として実現は可能であるように思います。真面目にやろうとする人間はそうそういないとは思いますけどね。

何の脈絡もないようにみえる、理不尽な展開が実はある一点への収縮を目指していたと知った時の驚きと快感はまさに初体験。手慰み程度ではありますが、少々文章を書いている身としては、どうやったらこんなストーリーがひねくり出せるのだろうか?という感嘆と嫉妬を感じました。私はド現実に即した文章しかかけませんので…。まあ、これは小島氏の才能だとしか言い様がない事なんですけどね。

小島氏の作品は標題のものの他、3冊ほど上梓されているようですね。本屋で見かけたら衝動買いしてしまいそうです。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-25 09:01 | 読んだ本 | Comments(0)

『キラキラネームの大研究』を読んだ

キラキラネームの大研究 (新潮新書)

伊東 ひとみ/新潮社

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最近のお子ちゃまの名前ってのは難読ですね。一時期ネットで叩かれていたのは「泡姫」(アリエル)。私はこの文字面をみると、某風俗産業に従事する女性しか思い浮かべられません。それからキラキラネームの元祖と言われているのが「光宙」(ピカチュウ)言わずと知れた人気アニメのメインキャラクターの名前ですね。私が見聞した「実例」では「緑夢」(グリム)。メルヘンチックな名前ですが、当人はムキムキの男子高校生でした。ちなみに以前同僚だった3歳の子持ちのママさんによれば、「あ、そのくらいの名前は結構ありますよ」とのことでした。いやはや。おじさんにはついていけません。こういうのも老化の一端なのでしょうかね…。

さて、著者の伊東氏は、巷に跋扈するキラキラネームの実例を挙げて、その一つ一つにつき、日本語の特性から考えた成り立ちと命名者の心理にまで立ち入って解説を試みています。

本文では取り上げられていませんが、例えば先ほどの緑夢君。緑を「グリ」と読ませるのは当然のことながら日本語の読み方としてはあり得ません。英語のgreenから来ている事は明白なのですが、氏はこれを、外来語を取り込み、いつの間にか定着させてしまう日本語の特性の一環と定義づけています。これはかなり歴史の古い「慣習」で、我々が日常使用している漢字も元々は中国から「輸入」されたもの。それをネイティブな日本語に当てはめて成立したのが現在の日本語ですね。ですから、漢字には多くの場合、音読みと訓読みが存在し、元々の意味とは食い違ってきてしまうことがある。

さらに、漢字が表音文字ではなく表意文字であることもキラキラネーム出現の一つの原因であるとも述べています。アリエルという純粋な言葉の響きはともかく(日本人にアリエルってのもどうかとは思いますが…)、泡姫という字面から、どうしてもスケベな連想を持たざるを得ないんですよね。ちょっと古い流行言葉で言えばシニフィエとシニフィアンの乖離とでも言いましょうか。

そしてまた、名前の場合はどんな漢字にどんな読みをあててもいいんです。有名なところでは「宇宙」と書いて「ひろし」と読ませた元プロ野球選手がいましたね。たまたま私は今ある名簿を整理する仕事を割り当てられているのですが、この連想ゲームのような壮大な読み方でなくても「え、この漢字でこの読み方するのか…」という例は結構あります。そもそも私自身の実名にしてからちょっと特殊な読み方をするので、初対面の人にはなかなか正しく読んでもらえません。社会人になって名刺を作った時にはルビをふってもらいました。

現在の「親」の世代の行動様式や心象風景に大いに影響を与えたのがゲームやアニメであることは論を俟ちませんので、キラキラネームの多くにその影響がみられることはある意味当然ではあります。私などは一生付いて回る名前というモノに変なイメージをまとわせてしまう事に関してはかなりの違和感を感じますが、今の親の世代には私が感じるような違和感は存在しないのでしょうね。当家には子供はいませんが、もし子供が出来ていたら、ごく平凡な、読んで字のごとし、という名前を付けたと思います。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-21 06:00 | 読んだ本 | Comments(0)

『「魔性の女」に美女はいない』を読んだ

「魔性の女」に美女はいない(小学館新書)

岩井志麻子/小学館

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イヤミスの女王にして下ネタ満開でも有名の岩井志麻子氏の「魔性の女」ルポ集。

「魔性の女」とは何でしょうか?年齢に関わらず、女性としての魅力がそれこそあふれていて、男を骨抜きにして多額の金品を引っ張り出し、果ては男を破滅させる女とでも定義出来るでしょうか。そしてその魅力の第一位に挙げられるであろう要素が「美貌」ってやつですね。そんな顔かたちが「美貌」なのか、という基準は人それぞれであり、統一見解を出すのはなかなか難しいのですが、例えば吉永小百合さんを「ブス」だという人はあまりいないと思います。彼女がフェロモンむんむんで迫ってきたら…、タモリ氏を筆頭に、地位も名誉もすべて投げ捨てて、落ちるところまで落ちても止むなしと考える男性は多いと思います。

しかるに、つい数年前には、お世辞にも美貌とは言えない「魔性の女」が連続してマスコミに登場して話題をさらいましたね。木嶋佳苗に上田美由紀、それに後妻業という言葉を世に広める事になった筧千佐子。彼女たちは皆容姿的には俗にいう十人並み以下。にもかかわらず、何故彼女らを信頼し、愛し、カネはおろか命まで奪われるような事態が出来したのか?

木嶋佳苗などは自ら「女性器の質がいいとほめられた」などという迷言を法廷で披露し、世間を唖然とさせましたが、春をひさぐ職業でもない限り、そういうものの具合を試すまでにはある程度の期間と交流が必要なはず。そしてそのきっかけとして大きな要素をしめるのは見てくれですね。これは男も女も一緒。合コンなどで報われぬ思いを散々味わってきた身としては第一印象でこの3人を選ぶ人間が多いとは思えません(苦笑)。

岩井氏はこの不可思議さに男女の関係の玄妙さを読み取っていきます。美貌という武器を持たない女性は、その分気持ちを働かすとか、家事を完璧にこなすとか、料理が飛び切り美味いとかいう武器を努力して手に入れ、パートナーを獲得しようとしますね。それは「魔性の女」も普通の女も一緒。ただし「魔性の女」は男を破滅させる方向にその手練手管を使うから始末に悪い。今回の例は命まで落とした男性が出たことで「事件」となり大きく取り上げられましたが、だまされて貢がされている男は少なくないはずです。幸か不幸か、私は自分に「モテ要素」がないことをしっかりと自覚したおかげで、甘言に惑わされる事はありませんでしたが(苦笑)。

その他、この本では結婚という制度が男女関係に及ぼす影響についても様々な実例を挙げて述べています。何が何でも妻という座にしがみつきたい女と、多少の出血は覚悟で別れたい男。妊娠をタテに男に結婚を迫るという古典的ながら実効性は高い方法も多々見られますね。それでも最近はDNA鑑定なんて方法がありますから、うやむやのうちにってな機会は減ったのだと思います。岩井氏自身も、二度目の結婚相手である18歳年下の韓国人男性と離婚をめぐるトラブルを経験しています。一緒に添い遂げてみなければわからないことも多々あるのですが、結婚前にしっかりと人物を見定める事は必要ですね。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-19 17:11 | 読んだ本 | Comments(0)

『フードバンクという挑戦ー貧困と飽食のあいだで』を読んだ

フードバンクという挑戦――貧困と飽食のあいだで (岩波現代文庫)

大原 悦子/岩波書店

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日本は世界に冠たる食糧輸入国です。カロリーベースの自給率が40%を超えるか超えないかウロウロしていることは時々問題視されますが、その一方で米作農家には「減反政策」を推進するという矛盾した体制も持ち合わせています。世界各地から、自分たちの食べる食糧の6割は輸入しているというのに、毎日毎日膨大な量の食糧が、賞味期限切れを理由に廃棄されています。消費期限切れ、というのは美味しく食べられる時期を過ぎてしまったという事。まだまだ安全に食す事の出来るものが大量に捨てられているということです。

単純に考えて実にもったいない。でもこの状態をどうにかしようという人物はなかなか日本には現れませんでした。なんとかこの矛盾を解消しようにも、なにかある度に出来するお役所の「縦割り行政」と「前例主義」というやつに阻まれていかんともしがたいという状況が続いていました。満足にモノが食えずにいる人々が多数いるにもかかわらず、です。

そしてこの壁をぶち破ったのは日本人ではなく、チャールズ・E・マクジルトンという一人のアメリカ人でした。本国で荒れた生活から更生したという経歴をもつチャールズ氏は日本に来て、山谷のドヤ街で何をするでもなくふらふらしてその日の食べるものにも事欠く人々を見て、なんとか彼らを救えないかと思い立ちます。そしてたどり着いたのがフードバンクという仕組みでした。

「世の中の仕組みを変えるのはヨソモノとバカモノ(これにワカモノが加わることもあります)だ」という言葉がありますが、捨てられる食物と飢えている人々のあいだをつなぐ存在としてのフードバンクを日本で開始したのはヨソモノのチャールズ氏でした。彼は日本特有の壁に悩まされながらも最後にはそれをクリアしてフードバンクを設立します。そしてその動きは全国にひろがりつつあります。とはいえ、まだまだ救われない人々、食糧共に多いのが現状です。

俗に「自分一人の収入では食っていけないから、女房がパートに出るようになった」などと言いますね。日本では「食う」というのは生活のすべてを指す言葉でもあるのです。それだけ重要な食すらも事欠く人々の最後のセーフティーネットがフードバンクなのです。アントニオ猪木氏ではありませんが「元気があれば何でも出来る」、しかし逆に言えば元気がなければ何も出来ないわけで、元気の根源になるのが食事です。元気のありすぎる企業が有り余らせた食糧を一番元気が必要な人々に分け与えるフードバンクという仕組みはまさに元気の再配分ですね。こうした動きがより活発になる事を望みたいです。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-18 17:56 | 読んだ本 | Comments(0)

『新・世界三大料理』を読んだ

新・世界三大料理 (PHP新書)

神山 典士/PHP研究所

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世界三大料理とは一体どこの国の料理を指すのでしょう?

この「三大」という格付けの仕方は日本独自のものらしいですね。世に「世界三大〜」という格付けはあふれかえっていますが、そのほとんどは日本が発祥。他の国々では三大などという格付けはなく、「自分の国が一番!!」って主張ばかりのようです。この辺は白黒はっきりつける事がかならずしもいいことではない、という日本人の心象をよく表していると思います。

唐突な余談が入りましたが、冒頭の問いかけの答えはフランス料理、中華料理、トルコ料理だそうです。しかし大抵の「三大」と同じように三つ目に名が挙がるものに関しては諸説あるようですね。例えば、「日本三大うどん」。讃岐と稲庭は当確ですが、群馬県人は水沢、九州に行けば長崎の五島うどん、北陸は富山の氷見のうどん、果ては名古屋のきしめんなど諸説あります。これに関してははっきりと決着をつけないところも日本的。まあ下手に決着をつけたりすれば戦争が起こりますな(笑)。

三大料理もフレンチと中華は「確定」ですが、三つ目に関してはイタリア料理を挙げる説もあれば、世界遺産に認定された和食を挙げる声もあります。標題の書は三つ目として和食を挙げ、フレンチ、中華との比較を試みています。

和食のもっとも重要な特色はなんでしょうか?著者神山氏はそれを「引き算の技法」にあると述べています。

フレンチにせよ、中華にせよ、食材に様々な手を加えます。すなわち「足し算の料理法」ですね。フレンチの花形はなんといってもソース。様々な食材を用いて作り上げられるソースは他の料理の追随を許しません。また中華も素材そのものには味のないようなフカヒレやツバメの巣などに実にいろんな技法で、時間も手間もたっぷりとかけてしっかりと味を含ませます。

対して和食はいかに素材の持ち味を引き出すかが勝負。あくを抜いたり、雑味を取ったりということにはある程度の手間をかけますが、その土地土地の、それぞれの季節を彩る食材たちの持つ自然な旨味を引き出す事が最大の技術です。

こうした、和食においてはいかにいい素材を見つけるかが最大の勝負となります。まがい物の食材がはびこっている現代だからこそ、本物の食材を見極めるトレーニング方法としても和食はもっと世界に広がってよいのではないかと思いますね。そのためには、和食に携わる人々が情報発信をしていかなくてはなりません。現代社会においても、国賓をもてなす際の料理は大抵の場合フレンチです。日本だって例外ではありません。これはフランスという国が外交の一つの武器として、「美食」をアピールし続けた結果にほかなりません。

今後は和食がその地位を奪うくらいに伸張させていくべきでしょう。まずは日本の国賓にはきちんとした和食をしっかり食べてもらう事から始めましょう。





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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-13 22:14 | 読んだ本 | Comments(0)

『尺には尺を』鑑賞

『尺には尺を』

ひょんなことからチケットを手に入れ、鑑賞しにいったのが標題の劇。藤木直人、多部未華子というスターに、辻萬長という渋い俳優が絡み、脇役にくせ者が多々登場する喜劇。故蜷川幸雄氏の「遺作」でもあります。

浅学にして知りませんでしたが、さいたま芸術劇場は蜷川氏演出でシェイクスピア原作の演劇37作すべてを上演する、という壮大な計画を持っていたようです。蜷川氏亡き後、この企画はどうなるのか、関係者にもわかっていないようです。ちなみにまだ上演していない作品は5つあるそうです。

さて、シェイクスピアを学んだことのある方には自明の事なのでしょうが、私は中学の演劇教室で『ヴェニスの商人』を、高校の演劇教室で『オセロー』を観た事があるに過ぎません。堤春恵氏の脚本による『ハムレット』の翻案劇『仮名手本ハムレット』は何度か鑑賞したことはありますが、きちんとした劇場で、きちんとした俳優が演じるシェイクスピアの作品を自分でオカネを出して観に行くのは今回が初めてです。世界に冠たるシェイクスピア作の演劇ですからさぞかし難解な、訳のわからない高尚な演劇が展開されるのかと期待半分、緊張半分で開場5分後くらいに着席。ちなみにS席、当然指定席。なにしろ前売りで一人9500円も取るんですから(苦笑)。

舞台上では演者たちのウォーミングアップが行われていました。発声を行う者、ストレッチを行う者、小声でセリフのやり取りを」練習する者…。これも演出の一環なんでしょうね。なかなかに興味深い開園前風景でした。こういう風景が展開される演劇は初めて観ました。ますます緊張しちゃいましたね。

今回の観劇に関しては予備知識を一切入れずに鑑賞しました。まっさらな状態で蜷川演出を観てみたかった、というのは言い訳で、単にコンテキストを読み込んでおくのが面倒だっただけのオハナシです。

開始早々、重々しい演技が展開される、という予想は見事に裏切られました。後からググって調べたら、この演目は「喜劇」に分類されるということでした。開演前の緊張はどこへやら、最初は微笑、そのうちゲラゲラと笑わせてもらう事になります。

ストーリーはウィーンが舞台。彼の地を治めていたヴィンセンシオ公爵(辻)は、アンジェロ(藤木)という若者に権限をすべて委譲した上で、周辺諸国との外交交渉のためにウィーンを留守にする、というところから始まります。実はこれはアンジェロを試すための公爵の策略。ウィーンを後にしたとみせかけて、実はウィーン内の修道院に入り、修道士に身をやつします。

権限を委譲されたアンジェロは性風俗の取り締まりを強化します。そこで罪に問われたのは、婚外子をもうけてしまったクローディア。アンジェロは正式に結婚せずに子供を作ってしまったカップルの男性を死刑に処す、という古法を厳格に適用しようとします。そこに登場するのは修道女になることを目指すクローディアの妹イザベラ(多部)。ヴィンセンシオ公爵扮する修道士はイザベラの純潔を「エサ」にアンジェラを翻意させることを画策します。この辺は、ヨーロッパのキリスト教の戒律、というものの重さを理解していないとなかなか理解しづらいですね。今の日本人の「常識」なら、「命が助かるなら、一回くらいサセればいいんじゃね?別に減るもんじゃねーんだし…」ってな感情に駆られること必至だと思うのですが、シェークスピアがこの作品を執筆した当時の「常識」からすれば、神に純潔を捧げようとする修道女見習いが、その純潔を生身の男に捧げる事の重さというのは計り知れませんね。援交する女子高生が「処女」の商品価値をふっかけるのとは訳が違います。

さてさて、イザベラはどのようにアンジェロの欲望をかわし、兄の命を救うのか?ヴィンセンシオはアンジェロのことをどうしようというのか?Wikipediaを参照すればストーリーはモロバレなのですが、あえてここでは結末をあかさないことにします。知りたい方は実際の演劇をご覧下さい、って6/11で上演は終わっちゃいましたがね…。

中学時代の『ヴェニスの商人』のストーリーがよみがえるような、勧善懲悪のハッピーエンド。タイトルの『尺には尺を』というのは他人の罪を裁くには自らの行動を尺度にせよ、という聖書の中の言葉から取られているそうです。なるほど、なるほど。そういうコンテキストをアタマに入れて観ると「なるほどなぁ」と感じざるをえません。また、喜劇という性質上でしょうか、今日的な演出のコントじみたシーンも挿入されましたし、一発屋芸人のギャグをもじったようなシーンもありました。一字一句原作の通り演じろ!!という故蜷川氏の演出を予想していただけに、この演出は意外でしたね。

カーテンコールの最後の最後には蜷川幸雄氏の遺影が掲げられ、それを観た観衆は自然にスタンディングオベーションを贈っていました。劇の内容とは別にこのことにも感動しました。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-12 20:09 | エンターテインメント | Comments(0)

『昭和芸人 七人の最期』を読んだ

昭和芸人 七人の最期 (文春文庫)

笹山 敬輔/文藝春秋

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題名通り昭和の初期から中期にかけて活躍した芸人七人の死に様のルポルタージュ。

著者笹山氏はプロローグで、歌手や俳優は老いさらばえの歳になっても「演技に味が出た」とか「若い時には感じられなかった豊かな表現力」などとほめられる事があるが、芸人は面白くなくなったらそれでおしまい、という厳しい現実を示しています。エノケン氏が自ら語っているように、「笑ってもらっているうちが花。同情されるようになったらおしまい」。そして、笑いがとれなくなった芸人ほどみじめなモノはありません。故に芸人の死に様は悲劇的なものにならざるを得ないという厳然たる事実を描いています。

松鶴家千代若・千代菊師匠みたいに、元々くたびれたことをネタにしていたコンビは例外ですが、芸人というのは歳を経る毎に面白くなくなっていきますね。観る側はある意味無責任に新しいもの、新しいものを求めますが、演じる方が持ちネタをどんどん作り上げていく事は至難の業。加齢に伴う体力の低下、そして感性の鈍化。売れた経験がある芸人には、過去の成功体験を捨てきれない、という葛藤もあります。これらの要素がすべて絡み合って「面白くなくなっ」ていき、そして大抵の場合は、芸人としての死とともに人生も終わる事になるのです。

標題の書に収められた芸人は榎本健一、古川ロッパ、横山エンタツ、石田一松、清水金一、柳家金語楼、トニー谷の七人。どの方も、私はリアルタイムでは観ていませんので全盛期にどれくらい面白かったのかについては想像する他ありません。唯一、トニー谷氏だけは大滝詠一師匠が編集したCDを買い求めたことと、ルー大柴の「ルー語」の元祖がトニイングリッシュだとちょっと話題になったことで、多少強めのイメージを持つ事ができます。それにしても彼の「ライブ」を観た訳ではありませんので、想像の域はでません。

死に様はそれぞれみなうらぶれています。芸人としてのアイデンティティーを失い、しかも挽回するだけの体力もアタマもない。失意のうちの死、というのはまさに芸人のためにある言葉のようです。

今の私の一番の心配は小堺一機氏の行く末です。4月に30年以上続いたお昼の番組が終わってから、ほとんどメディアに出なくなりましたし、毎年ライブで観ている『おすましでSHOW』も今ひとつ元気がないように思います。実際に空席が目立ちましたしね…。どっこいまだまだ老け込む歳じゃねーぜってな姿をみたいものです。こういうワガママが芸人自身を一番疲弊させるのだという事はわかっているのですがね…。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-06 21:57 | 読んだ本 | Comments(0)

『考えすぎた人−お笑い哲学者列伝−』を読んだ

考えすぎた人―お笑い哲学者列伝―(新潮文庫)

清水 義範/新潮社

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清水義範氏による哲学者列伝、って題名そのままですね。しかし、題名には「お笑い」とも書かれています。この「お笑い」の要素こそが清水氏の真骨頂。そしてもう一つの清水氏の特色は「教師」としての視点。つまり、難しい事柄をいかに知らない人々にうまく伝えるかという観点からの文章です。標題の書は清水氏の思想とテクニックが見事に融合された一冊に仕上がっていました。

そもそも哲学って難しいですね。文学部出身で、読書好きでは人後に落ちないと自負している私でも、敬遠しています。いままでに哲学・思想書の類いで満足に読了出来たものは記憶にありません。文章の一つ一つを読み解くのに時間がかかり、そのうちに集中力が切れて眠くなってしまうからです。清水氏自身も文中及び脚注(この脚注が実に面白いのもこの本の特色)において「解説書」の丸写しの箇所があると語っていますし、あとがきでは素直に、よくわからない考え方も多々あったというような主旨の事を述べていたりもします。

まあ、これは謙遜のうちで、小難しい事柄を実にやさしく、面白い読み物に仕立て上げてくれていました。しかも、その展開は古畑任三郎の語り口調あり、「共演」の機会の多い、西原理恵子氏のエッセイ風の文章あり、と実にエンターテインメント性に富んでいます。パスティーシュ小説の第一人者としての面目躍如といったところでしょうかね。

この一冊、嬉しいような困ったような副作用をもたらしてくれています。そもそもの哲学書を読みたくなってしまったのです。そもそも哲学書ってのは、内容さえ理解出来れば「ああ、なるほど」とか「うん、わかるわかる」という発見に満ちたものなんです。要するに、自分の目の前に広がる世界がどのような理屈でどのように動くか、ってなことをエッセンスにして見せてくれるのが哲学ですから。ただ、使われている言葉が難解。ある人のある文脈で使われた術語は別の哲学者の文章につながる。そしてその哲学者の文章はもっと古い、もっと高名な哲学者の言葉なり、文章なりにつながっていく。そのうちに訳がわからなくなってしまい、最後には本を投げ捨てて、「なんでもかんでも難しそうに書きゃいいってもんじゃねーぞ、こら。だいたい、難しい事をやさしく解説し直す事が出来るってのが、『アタマのいい人』の定義のはずだろーが。もっとわかりやすく説明してみろよ、このヤロー!」とだれに言う訳でもない捨て台詞を残して、酒をカックラウしかない状態になってしまう、というのが今まででした。この一冊が、わかりやすく解説をしてくれたおかげで、なんとか酒をカックラッたりせずに、冷静に向き合うための心構え的なものが出来たような気がします。というわけで、先日の衝動買いツアーの際は何冊か哲学書の類いを買ってきてしまいました。買ってきたはいいけどいつ読み始めるのかについては私にもわからない状態ですがね…。




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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-05 07:40 | 読んだ本 | Comments(0)

『カラヴァッジョ伝記集』を読んだ

カラヴァッジョ伝記集 (平凡社ライブラリー)

石鍋 真澄(翻訳)/平凡社

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2011年のイタリア旅行以降、当家では彼の国に対する関心の高さが継続しています。パスタにピッツァにワイン(って食い物ばっかりじゃねーか!!)、ラグビー(そんなにメジャーじゃない。少なくともサッカーより日本での関心は低い)、本、旅番組など、イタリアに関するモノゴトは常に身近にあります。そんなこんなで今週は「カラヴァッジョ展」を観に行ってきました。

会場である国立西洋美術館のある上野公園は『若冲展』で人があふれかえって(平日の昼間だというのに会場入りまで1時間待ち)いましたが、「カラヴァッジョ展」もこじんまりと盛り上がっていましたよ。

で、この展覧会を観る前に知識をアタマに入れておこうと買い込んだのが標題の書。結局は展覧会を観る前に読み終わる事はできなかったので、中途半端な知識を持っただけで終わってしまいましたが(苦笑)。

さて、「カラヴァッジョ」というのは地名です。本名は「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ」という長ったらしい名前です。無理矢理日本語に直すと、カラヴァッジョ村(ミラノの近くにある田舎町)のメリージ家のミケランジェロってことになります(有名なレオナルド・ダ・ヴィンチもヴィンチ村のレオナルドって意味になります)。

この人物はゴシック期を代表する画家で、目の前の事物をあるがままにカンバスに再現することで、当時の美術界の常識をまるっきりひっくり返した人物として知られています。その先進性ゆえ、当時の画壇は容認派と否定派にはっきりと二分されたのですが、後には、彼の「画風」にあこがれ、その手法を真似る「ジャラヴァッジェニスキ」というフォロワーたちを多数生み出す事となります。カラヴァッジェニスキたちはイタリアのみならず、ドイツやオランダにも少なからず出現したそうで、彼らの作品も多々展示されていました。それまでは絵の題材の「欠点」を修正して美しい姿を描く事が一般的だったのですが、カラヴァッジョの出現以降、対象をよりリアルに描く、という思想を持った一派が美術界にそれなりの勢力を持つこととなります。

絵の方のウデはともかく、このカラヴァッジョ氏、私生活はかなり荒れていたようです。とにかくケンカっ早い。標題の書には、カラヴァッジョの「犯罪」に関しての裁判資料が数多く収められています。中でも一番の大罪はテニスの試合でのイザコザが原因で人を一人殺してしまったこと。こうしたトラブルが原因で絵の名声ほどには私生活は充実せず、イタリア各地を転々とすることを余儀なくされたようです。挙げ句には彼に恨みを持つ人物に顔を殴られて重症を負い、最後には急病で亡くなってしまうのです。破滅型の天才だったのですね。

私のようなコンテキスト読みにはなかなか良い一冊であったように思います。ただ絵を流して眺めて終わりってな鑑賞よりは少し深い鑑賞が出来たように思います。

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# by lemgmnsc-bara | 2016-05-28 20:47 | 読んだ本 | Comments(2)

『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記ージャパン進化へのハードワーク』を読んだ

エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記―ジャパン進化へのハードワーク

大友 信彦/東邦出版

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ラグビーライターの雄、大友信彦氏によるルポルタージュ。2011年のワールドカップでの日本代表(以下ジャパン)の惨敗後にエディー・ジョーンズ氏がヘッドコーチに就任してから2015年のワールドカップ直前に至るまでの日々を克明に描いています。

ワールドカップの前に出版されるこのテの本はジャパンへの期待に満ちています。以前の大会でも、目一杯期待感を盛り上げてくれましたが、毎回結果には愕然とさせられていました。書き手本人がどう思っているかはともかく、本戦直前にいろいろな意味で水を差すような文章は書きづらいでしょうし、その後の活動にも制約がでてくる恐れだってあります。いわば無言のプレッシャーによる「言論統制」が行われてしまっているという状況なのです。その分、大会が終わってからはかなり厳しい論調の文が続くのですがね…。

ところが、2015年のワールドカップはこのテの本の期待感通り、いやそれ以上の結果をもたらしました。言わずと知れた南アフリカ戦での勝利です。あれ以降、ジャパンは発足以来最高の注目を浴び続けています。五郎丸選手を筆頭にメディアへの露出が激増しましたし、トップリーグの観客数も激増しました。

まさに「勝利はすべてを癒す」。練習のキツさに選手が不満を漏らしたこともあったようですが、エディー氏の指導が見事な結果を導き出した今となっては、そんなことすらも「エディージャパン」という物語の味わいを引き締めるスパイスの役割を果たすエピソードの一つとなっていますね。

ルポの内容そのものには特に目新しい部分はありませんでした。エディー氏の指導は単純明快。体格とパワーに勝る相手に勝つには、スピードを突き詰めることそのスピードを80分間継続させるフィットネスの向上しかない。故にそのフィットネスを身につけるために過酷な練習を課す。単純ながらなかなかできないことです。エディー氏は「日本人の特長は瞬間的なスピードと、与えられた課題を粘り強く最後までやり遂げる忍耐力にある。しかし今までの日本の指導者はこのことを信じていなかったのではないか?」という疑問を呈し、自らはその特長を最大限に活かした指導を行いました。ここがエディー氏を世界でも屈指の指導者足らしめている点です。自分が発した言葉に対しての責任感と執着が凄い。そして世間の期待以上の結果をもたらす。う〜ん。つくづく手放してしまったのが惜しい。

エディー氏を失ったサンウルブズは苦戦が続いています。ジャパンに限りなく近いチームではあるものの、エディー氏の指導の下で4年間しっかりと培った一体感を持つチームと急造のチームとの違いは限りなく大きいですね。マーク・ハメット(サンウルブズHC)、ジェイミー・ジョセフ(ジャパンHC)はどのような「改造戦記」をえがかせてくれるのか?期待と不安が半々です。




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# by lemgmnsc-bara | 2016-05-24 05:33 | 読んだ本

『真田三代』を読んだ

真田三代 (PHP新書)

平山 優/PHP研究所

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今年の大河ドラマの「主役」である真田家三代の歴史をつづった一冊。
武田家支配下の信州の一豪族であった真田家がいかに「出世」していったかを、膨大な資料に基づき詳細に解説しています。
真田家が歴史に登場するのは武田家勃興の後期。「始祖」幸隆は、戦よりもその前段階の情報収集や対立または日和見を決め込む勢力を調略することで武田信玄から重用されていたようです。実際に彼の手腕で戦わずして配下に治めた勢力はかなりの数に上る模様です。

その一方で幸隆は独自に上杉や北条といった戦国大名にもコネクションを作っていたようです。これは戦国時代にはよくみられた現象のようで、複数の勢力の境界線上にある集落は、双方の勢力に等分に貢ぐことでどっちに転んでも良いような状態にしていたとのこと。真田家も上杉家が関東管領に就任した際には刀を贈ってお祝いしています。こうした「布石」は後々になって真田家の存亡の危機を何度も救うこととなります。

そして真田家最大のヒーロー昌幸が登場します。一般に真田といえば幸村が一番有名なのですが、何度も難局を乗り越え、豪族から戦国大名にまで上り詰めたのは昌幸の功績です。戦だけでなくさまざまな領域で能力を発揮していたようで、彼を近習にとりたてた信玄は「武田家の将来をみる目」のような存在と評しています。後に大坂冬の陣に際し、「真田が大坂城に入った」との知らせを受け、「親(昌幸)か、子(信繁=幸村)かどっちだ?」とたずね、信繁であるとの報告に胸をなでおろしたというエピソードが掲載されています。関が原の合戦の前に上田城に押し寄せた大軍を撃退し、秀忠の合戦への遅参を生じさせたことが一番の手柄のように伝えられていますが、自らも有能な武将だった信玄の日常をささえていたことなど、もっと評価されて良い人物だと思います。

さて幸村です。この本では基本的に幸村は信繁という名で統一表記されています。ちなみに信繁とは真田幸隆の次男でしたが、有名な長篠の戦いで戦死しています。敗色濃厚な大坂夏の陣にあって、猛烈な突撃を繰り返し、家康をあと一歩のところまで追い詰めたつわものとして、後の世で講談、演劇、映画、ドラマ、小説、ゲームなどで華々しく取り上げられた結果、真田といえば幸村、という印象が強いのですが、大坂の陣に参集した武将たちの中では若輩者として進言が全然受け入れられないという悲哀を味わった人物です。優秀な若手社員をつぶす、無能な管理職…。ブラック企業ならぬ、ブラック豊臣ですね。

情報は非常に詳細に紹介されていましたが、やや記述の文体が教科書的だったのが残念。しかしこの一冊はエンターテインメントではないので、この辺はしかたがありません。さまざまな物語に触れる前に読んでおくと便利な一冊だったように思います。

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# by lemgmnsc-bara | 2016-05-18 21:18 | 読んだ本 | Comments(0)

『花の鎖』を読んだ

花の鎖 (文春文庫)

湊 かなえ/文藝春秋

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久々に読んだ湊かなえ氏の作。本棚の端っこの方から発掘されました。

ストーリーは、氏お得意のクリフハンガー方式で進みます。この本の場合は、三人の人物の視点でてんでんばらばらのオハナシが展開されていきます。クリフハンガー方式は、一つのイベントを別々の方の視点で描き、展開するというのが「一般的」ですが、この物語はいつになったら接点が現れるのだろう、と、少々の違和感を感じながら読み進めていきました。

結果的には三つの物語はきっちりと絡み合い、ややあざといまでに感動的な大団円を迎える事となります。いわゆる「イヤミス」に生じがちな後味の悪さや、苦々しさといったものが全く感じられない、非常にヒューマンな結末でした。

三つの物語のなかで、最大のミステリーは「K」という人物の正体です。実はそれぞれの物語の端々にいろいろなヒントが隠されてはいるのですが、三つの物語がやがて結びつくことがわかった後でないとそれに思い至らないという仕掛けが施されており、この辺は巧みですね。クリフハンガー方式というものの味わい方を知り尽くしている湊氏ならではのテクニックです。そして三つの物語がその関連性をあらわにした後の謎解きの解説の快感。ここにも一つの大きな仕掛けが施されています。じらしにじらした上でようやく収束に向かうかと思ったら、思いもよらぬ伏兵が現れて、その伏兵が一気に物語をひっくり返してしまう。これもまたこの物語の妙味です。

ストーリーの中身とは全く別の問題として、クリフハンガー方式が醸し出すものについて、いろいろと考えさせてくれる作品でもあります。とある事象が、ある人に取っては禍々しい凶事でも、別の人にとっては喜ばしい快事である…。我々の実生活の中でもこうした出来事はいくらでも転がっています。たとえば、「昇進」。昇進した本人はもちろん嬉しいでしょうが、その昇進争いに敗れた人物にとっては不愉快この上ない出来事でしょう。では昇進した人物の妻(または夫)にとってはどのような出来事として映るのか?さらに上層の管理職にとっては?部下や後輩にとっては?…。ネガティブからポジティブ、嫉妬と羨望、感激と落胆。様々な人に様々な感情が生じ、そしてそれが実際の行動に結びついて、さらに複雑な変化が生じていく。モノゴトはすべて単一の見方ではなく複眼視的な視座で見なければ、「真実」にはアプローチ出来ないという事ですね。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-05-04 07:56 | 読んだ本 | Comments(2)

『石の記憶』を読んだ

石の記憶 (文春文庫)

高橋 克彦/文藝春秋

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高橋氏が文芸誌などに発表はしたものの、自身の本としてはリリーズしていなかった(他の作家と一緒のアンソロジーに収録された事のある作品はある)作品を集めた短編集。厳密に言えば表題作の『石の記憶』は短めの長編にカテゴライズした方が適当かも知れませんが、ま、その辺は別に大した事じゃありません。

私が高橋氏の作品に初めて触れたのが、他の作家との「恐怖」をテーマにしたアンソロジーだったと記憶しています。つまり高橋氏に対しての私の第一印象は「恐怖を描く作家」だったのでした。氏の描く「恐怖」に魅了された私は、その他の作品も読みたくなり、次々と読んでいったのですが、壮大な構想のSF小説や東北の人々を主人公とした歴史小説、名探偵塔馬双太郎を主人公とする推理モノなど、氏の守備範囲の広さと各々の作品のクオリティーの高さには驚かされてばかりでした。なお、なぜか氏の出世作である『写楽殺人事件』は読んでいません…。

標題の書は、久しぶりに私の高橋氏の認識の原点である「恐怖」を描いた作品集でした。日常生活のホンの一歩先にある深い闇、人間の正気と狂気のはざま、「科学的」には説明のつかない不思議な現象の数々など、私が好む「恐怖」の姿を描いた作品たちがたしかにこの本の中にはありました。しかし、表題作であり、最後に収められた『石の記憶』はまったく経験した事のない、新しい境地の作品でした。敢えて形容するなら、壮大な構想の下に描かれた東北が日本の、いや世界の中心であった時代の物語というところでしょうか。主人公である作家が、その「場」の記憶を読み取り、映像として再現出来る超能力の持ち主とともに鹿角市を訪れ、その地の記憶を探り出すというストーリーが進んでいきます。

氏の古代史観は神々は宇宙人であったとするもの。現代の地球上の文明でも到達し得ない科学技術を持った宇宙人たちが古代の人々にその技術のホンの一端を授け、そして環境の変化により、他の星に移住したか、滅亡したかで忽然と姿を消した、とするものです。学説としての正確性はともかく、エンターテインメントとして味わう分には非常に魅力的な考え方ですね。

あとがきによれば、当初この『石の記憶』は47都道府県のすべてを網羅する予定だったそうです。その土地土地で一番強烈な記憶に残っている事件はそれぞれに違うだろうし、その物語たちを並べていく事で日本全体を舞台とした壮大な連作ができるはずだ、という目論みだったようですが、発表の場である文芸誌『野生時代』の休刊とともに、企画が宙に浮いてしまったそうです。ぜひともどこかでこの続きを紡いでいただきたいものです。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-04-29 18:41 | 読んだ本 | Comments(0)

『戦国鬼譚 惨』を読んだ

戦国鬼譚 惨 (講談社文庫)

伊東 潤/講談社

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この本が初体験となる伊東潤氏の短編集。信玄亡き後の武田家の衰亡の様を迫力ある筆致で描いています。

偶然ながら、つい最近読んだ井沢元彦氏の『『英傑の日本史 智謀真田軍団』と扱っている「時期」がほぼ一緒でしたので、予備知識はバッチリ。後は伊東潤氏という作家がどのようにドラマを描き出すか、に興味を持って読み始めたのですが、いや、この一冊実に面白かった。

信玄が死亡し、勝頼が跡を襲ってからの武田家は衰亡の一途。特に「長篠の戦い」で大敗を喫してからは人材も払底し、民心も離れ、まさに坂道を転げ落ちるように弱体化していきます。その状況下にあって自身の身の振り方に苦悩する武将たちの苦悩が実に生々しい。旧君主信玄に対する忠義の心は持ち合わせていても、暴君勝頼の施政方針には大いに疑問と不満を感じている。そうした不安定な精神状態を見透かして、織田、北条、上杉といった列強たちが調略の触手を伸ばしてくる。落陽の武田家に殉じるのが武士としての正義。しかし、領民の命をあずかる治政者としては、負け戦とわかっている戦いに臨んで民の命を失いたくはない。もちろん自分の命だって惜しいし、伸長していく勢力に与した方が、自分の「出世」も子孫の安定にもつながる…。

混沌とした戦国時代の情勢に千々に乱れる個人としての武将の心境。果たして自分が彼らの立場に立ったらどうしただろうか?私なら、そんな複雑さに耐えきれずに逃げちゃうと思います(苦笑)。

この一冊に集められた五つの作品の中で、思わずうならされてしまったのは、二作目の『要らぬ駒』。織田軍との戦闘に際し、最前線となる土地を治める下條氏の物語。戦国武将シュミレーションゲームの知識が歴史に関する知識の基礎である私にとっては、下條氏という一家は未知の存在でした。どのゲームにも登場しなかったからです。しかしながら、この一族は戦上手の一族として武田家の家内ではその名が轟いていたようです。物語は、領主下條信氏の次男頼安の視点で描かれます。逆転に次ぐ逆転劇の末、最後に笑ったのは?見事にヒネリの利いた一作でした。私が過去に読んだ歴史小説の中でも屈指の作品です。黒澤明氏に監督してもらったら、さぞかし重厚で苦々しい作品になるのではないかという感想も持ちましたね。

とにかく読み応えのある作品集でした。また一人追いかけたい作家が出てきてしまったなぁ…。

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# by lemgmnsc-bara | 2016-04-29 06:19 | 読んだ本 | Comments(0)

『ドローン・コマンド尖閣激突!』を読んだ

ドローン・コマンド 尖閣激突! (角川文庫)

マイク・メイデン/KADOKAWA/角川書店

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通勤時に読むための本を忘れてしまった時に、駅の売店でパッと手に取ったのが標題の書。別に私は右翼でもネトウヨでもありませんが、尖閣諸島を巡る、日中間のごたごたに関しては苦々しい思いをかねてより持っておりましたので、その辺の感覚をくすぐられたのだと思います。

尖閣諸島に限らず、南シナ海に関して、最近の中国はかなり露骨に「進出」してきていますね。アメリカの強硬な抗議により、若干その勢いは鈍ったものの、すっぱり諦めるなどという事はまず考えられないでしょう。中国共産党および中国政府は表向きしばらくは動きを控えるでしょうが、「民間」の人間が勝手にいろんなことをやってしまい、その動きを追認するなどという手段を使ってくることは十分に考えられます。

日本は尖閣諸島に直接実力行使があるまでは動きがとれないですね。そういう時に頼りにするのは米軍ですが、たかだか小さな島二つ三つで中国との本格的な対立になるような事態は避けたいでしょう。となると、尖閣には中国の民間人が居座り、日本は毎日その人々に向かって、遠くの海上から退去を呼びかけるだけ、などという事態が出来しないとも限りません。日本としても中国のしっぽを踏むようなマネはしたくないはずですし。全面的に戦争、などという事態になったらそれこそ日本全土が焦土と化すかもしれません。

この小説の舞台は2017年。つまりごく近い未来を描いた物語です。こうした「シュミレーション小説」では現実の情報の正確さと、仮説のリアルさが勝負のキモとなるのですが、この作品に関しては、かなり高いレベルで両方とも実現されていました。アメリカの主要な登場人物だけがやや取ってつけたようなご都合主義的設定になっていますが、よくよく訳者のあとがきを読んでみたら、この主人公たちは一連のシリーズ物の出演者なのだとのこと。この主人公たちが存在する仮想社会の中に、現状の日米中の関係を当てはめると、まあ許容範囲のリアリティーは保ち得ていると思います。

小説の結末は実際の本に触れていただくとして、実際に中国が尖閣諸島を占領した時にアメリカは動いてくれるのか?とか、自衛隊は「実戦」に通用するのか?とか非常に不安になりました。性能はともかく、中国は核保有国でもありますしね。アメリカが中国軍を撃破してくれたはいいが、日本の国土にはあちこち核兵器が使われて、日本国民は壊滅状態、などという事態だってあり得ます。物語としての出来は今ひとつというところでしたが、ココロに潜む漠然とした不安感を改めて認識させてくれた一冊ではありました。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-04-24 17:36 | 読んだ本 | Comments(0)

『怪のはなし』を読んだ

怪のはなし (集英社文庫)

加門 七海/集英社

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私にはまったく霊感らしきものがありません。暗闇とか、夜の墓場にはそれなりに恐怖感を感じますが、これはただでさえネガティブな方向に走るのが好きな私の想像力が勝手にいろんな事を想像して恐怖を増幅しているだけのオハナシで、例えば心霊スポットみたいなところに行ってもおそらく何にも感じないと思います。

この本の著者加門七海氏(ちなみにこの方の作品を読むのは標題の書が初めてです)はそのテの霊的なモノや魑魅魍魎の類いを「感じて」しまう体質らしいです。そしてその感じた事だけを素材に書くが故に自らを「モノ書き」と称しています。モノとは古くは鬼の意味でしたし、物の怪のモノにも引っかかっています。つまりは怪しげなモノを専門に扱う著述業者だという意味だそうです。怪力乱神を大いに語る語り部と言ったところでしょうか。

私が以前勤務していた支店のあった建物は、以前病院があった土地に建てられていました。そのためか否か、夜遅く階段を使用すると、あきらかに自分のものではない足音がいつまでもついてくるとか、夜中に一人で残業していたら部屋の隅に白い影がうずくまってた、などという「伝説」がありました。あまつさえ、私の後輩などは件の「白い影」を見た事があるとまで言っていました。そんな環境下にあっても私は一切不気味さとか恐ろしさなんてものを感じた事がありませんでした。鈍感であるってことは幸せな一面がありますね(笑)。

加門氏は例えば霊場とされる山の中で、急に脚が重くなって歩くのに難儀したが、とある場所で祈りを捧げたら一気に脚が軽くなって予定通りに山を下りる事が出来た、などという体験を綴っています。これなど、「科学的」に解釈すれば疲労のために自分の思う通りにはカラダが動かない状態が続いていたものの、ちょっと休憩した事で回復した、とでも説明されるのでしょう。でも、こういう現象になにか意味を見いだしてしまうのが人間というもののおかしさであり素晴らしさでもあります。水木しげる氏が「日常生活のなかに入り込んでくる得体の知れない現象」を妖怪の正体であると述べていたように、何かしら訳のわからないものがいた方が世の中面白い。

書いてある事が「本物」なのかそれとも「科学的」に説明出来る事なのか、そんなことはどうでもいいような気がしますね。とにかく、あるシュチュエーションで得体の知れない事態に遭遇し、そこで恐怖を感じた、という事実だけで遊ぶ事のできる知性を与えられていることに感謝感謝です。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-04-20 21:53 | 読んだ本 | Comments(0)

『ちりぬる命−奥方様は仕事人』を読んだ

ちりぬる命―奥方様は仕事人 (光文社時代小説文庫)

六道 慧/光文社

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『奥方様は仕事人』シリーズ四作目にして最終巻となるのが標題の書。三作目の『そげもの芸者』を読んで欲求不満が高まっていたところで、ちょいと本棚を整理していたら出てきましたので、通勤カバンに放り込んでいました。

「剣術小町(やっとうこまち)」の異名をとる美貌の仕事人野村留以の仇敵「もがりの猛蔵」がいよいよ登場してきます。留以ら三姉妹の両親が惨殺された11年前の押し込み強盗の後、関西方面に逐電していたと考えられていた悪党一味が、幕府が集めた冥加金(商人から寄付のカタチで集められた一種の所得税)を奪うため、江戸の街で大騒動を起こそうとして舞い戻ってきたという設定となっています。

前作で留以の母性愛を呼び覚ました少年がどこかでひょっこりと現れて重要な役割を果たすのではないかという期待は見事に裏切られました。そんな事に関係なく物語はどんどんと緊張感を増していきます。留以が与する与力組織の情報が猛蔵一味にバレている事に気づいた留以とその仕事人仲間たちは、捜査に加わっている与力や同心の中に猛蔵がいるのではないかと疑いをもちます。また、猛蔵の似顔絵によく似ているとされる人物が同心の中にいたりもします。さらに猛蔵の参謀として「夜振の光助」なる人物も登場します。どうやら猛蔵一味の犯罪にはかならずこの光助が噛んでいるようでした。再び芸者として潜入捜査に加わっている留以はこの光助なる人物こそが実は組織の真の首領なのではないかと思い始めます。

そして現れた光助の正体は…。これは書けません。本文を読んで下さい。一つだけ覚えておいていただきたいのは最初の方の部分で仕事人仲間の岡田文士郎がつぶやく「秘事は睫毛」という言葉です。秘事秘伝はすぐ近くにあるが睫毛のように気づく事がないという意味ですが、これが後々大きな意味を持つ事となります。

さて、『奥方様は仕事人』シリーズは最終巻であると文頭に書きましたが、仕事人としての留以はここで終わるようです。ただし留以と平左衛門夫婦の活躍を描く別シリーズの構想があるとのことでした。読みたいような読みたくないような…。まあ、ドラマにでもなる事になったら考えましょうかね。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-04-19 19:31 | 読んだ本 | Comments(0)

『寒鴉〜奥方様は仕事人〜』を読んだ

寒鴉~奥方様は仕事人~ (光文社文庫)

六道 慧/光文社

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一つ前の投稿で紹介した『そげもの芸者』と順序を逆にして読んだのが標題の作。「剣術小町(やっとうこまちと読みます)」野村留以とその仲間たちの活躍を描く「奥方様は仕事人」シリーズの二作目です。

今巻では、師走から年明けの江戸を争うとする寒鴉たちの暗躍を仕事人たちが食い止めるストーリーが描かれます。寒鴉とは、エサの少ない寒い時期に気が荒くなっているカラスのこと。転じて、非常に荒っぽい手段で「仕事」をする悪党たちの事を指します。荒っぽい手段とは火附けを行ってその混乱に乗じて盗みを働いたり、集団で強盗殺人を行うなどが典型例です。奪われる金額以上に副産物としての損害が大きな犯罪ですね。

この寒鴉たちの首領は「遊糸の与市」と呼ばれる人物。「遊糸」とは陽炎の意。現れたと思うとすぐに消えてしまい、その正体を知るものは誰もいないことからこの二つ名で呼ばれています。

与市がバクチ好きかつ女好きであるという情報を得た与力の八木沢(留以によこしまな好意をいだいているが、留以はこの人物を嫌っています)は留以に賭場への潜入捜査を依頼するのですが、留以の夫の平左衛門は留以を危険にさらしたくないとしてこの依頼に反対します。自身が失策により謹慎を命じられており、その解除を条件として提示されても頑として拒否する平左衛門の愛情の深さに留以が感涙にむせぶ、という場面も描かれたりします。

しかしながら、留以は両親の敵である「もがりの猛蔵」につながる可能性を感じ、「土竜」と呼ばれる潜入捜査役を引き受ける事にします。果たして与市の正体は?「もがりの猛蔵」を追いつめる事は出来るのか?というところで逃げ口上。これ以上は本文をお読み下さい。

今巻では留以とその仲間たちの「仕事」のシーンもしっかりと描かれていました。刀と千枚通しという道具はシンプルすぎるので、例えば「三味線屋の勇次」みたいなキャラが一人いるともう少し「必殺シリーズ」っぽくなると思うのですが、まあこれは個人的な好みの問題ですね。中途半端な結末にイラついた次巻『そげもの芸者』よりは楽しめた一冊でした。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-04-19 05:42 | 読んだ本 | Comments(0)

『そげもの芸者〜奥方様は仕事人〜』を読んだ

そげもの芸者~奥方様は仕事人~ (光文社文庫)

六道 慧/光文社

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六道彗氏による『奥方様は仕事人』シリーズの三作目。かなり以前に一作目を読んで、その後のシリーズ作品は本棚で長期熟成させてしまっていました。しかもたまたま手に取ったのが三作目となる標題の作で、二作目をすっ飛ばしてしまいました。更に言うと、主人公野村留以以外のキャラクターに関してはほとんど記憶にない状態でした。

今巻では留以が「仕事人」という裏の顔を持つに至った根本の事件の真犯人への「本格的アプローチ」が始まります。その事件とは留以が十歳の時に起こったもの。押し込み強盗に襲われ両親が惨殺されてしまったのでした。その時の一味の首領は「もがりの猛蔵」と呼ばれる悪党で、その悪党を探索し、討ち果たすために仕事人としての生き方を選択した、という設定です。剣のウデを磨き「剣術小町(やっとうこまちと読みます)」とあだ名されるほどの達人となっています。

今巻では「もがりの猛蔵」に直接つながる人物として「とくさの丈吉」というヤクザものが登場します。彼に近づくためと与力八木沢からの密偵就任の要請により留以は芸者に変装しますが、「普通」の芸者には必須の芸である三味線が全く出来ない。その分剣術の型を応用した剣舞に冴えをみせるということで通常から外れた芸者という意味の「そげもの芸者」と呼ばれる事になります。それが作品のタイトルにもなっている、という作り方は巧みです。

さて、与力八木沢からの依頼は、頻発する心中事件のカギを握る人物への接近でした。そのうちの一件で一人生き残った少年に留以が母親にも似た気持ちを抱く場面もあります。しかもこの少年は親戚を名乗る男に連れ去られてしまったりします。

少年の行方は?もがりの猛蔵の行方は?すべてが中途半端な状態のまま次巻へ続く、となってしまいます。続きを読みたくさせる(=次の本も買わせる)という意味においては上手い戦略ですが、出し惜しみしてんじゃねーよ、って気になってしまうのも事実。せめて留以が殺しのウデの冴えをみせてくれれば「必殺シリーズ作品」としてはお約束を果たした事になるのですが、それもなし。すべての点で欲求不満が残る一冊でした。まあ、四作目も買ってあるので読むつもりですけどね…。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-04-18 21:52 | 読んだ本 | Comments(0)

なんだかんだで読んだ本のことばっかり書いてます。たまに映画、時々食い物とドライブとラグビー観戦。


by 黄昏ラガーマン
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