『人類のためだ。』を読んだ

人類のためだ。: ラグビーエッセー選集

藤島 大/鉄筆

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第一線で活躍するスポーツライターにして、母校早稲田大学、都立国立高校ではコーチとしてラグビーに携わった経験のある藤島大氏によるラグビーエッセイ集。題名に「選集」とある通り、選りすぐりのものが選ばれています。

私は藤島氏の「現物」を拝見した事があります。2007年のラグビーワールドカップ直前に行われた、雑誌『ラグビーマガジン』主催のトークショーででした。その大会での予選プールの対戦相手はオーストラリア、ウェールズ、フィジー、カナダでした。ジャパン代表の「戦績」について、他の出席者が期待を多分に込めて「3勝1敗」といってみたり、やや堅めに「2勝2敗」などという予想を語る中、藤島氏だけは「1分3敗」という地味を通り越して聴衆の反感までを食らう予想をたてました。結果としては不幸にも藤島氏の予想がズバリと的中しジャパンはワールドカップでの連敗記録を更新してしまいました。

この、会場の空気に断固として反対する「勇気」と、現実を冷静に見つめる厳しい視点とが相まって生まれたエッセイたちが収められているのが標題の選集。

まず、冒頭の一編でガッチリと捕まえられちゃいました。『君たちは、なぜラグビーをするのか。それは「戦争をしない」ためだ。』。藤島氏にとっての生涯の師と呼べる大西鐵之祐氏が早稲田大学での最終講義で語った一節をそのまま紹介し、その思想的背景を丁寧に解説しています。

すなわち、相手を「合法的」に傷つけることが可能な競技であるからこそ、単に「法律的に正しい」行いを為すのではなく、「きれいなプレー」をすることを身につける。そしてその「きれいなプレー」をするココロを身につけた人間こそが、社会が「変な方向」に向かおうとする時に抑止力として働くのだ、という大西氏の「哲学」です。

う〜ん、深い。残念ながら私はここまでの「思想」を身につけることは出来ませんでした。見えないところで散々ラフプレーやりましたし、一度明白な暴力行為で退場を食らった事もあります(苦笑)。また、少なくとも高校時代のラグビー部(私は高校時代は剣道部でした)の人間は人格的に高潔などとは決して言えない奴らばかりでした。有名な選手の不祥事も少なからず発生しています。大西氏の理想が体現されているとは必ずしも言えない状況ではあります。

だからこそ、ラグビーをやる人間は折に触れて大西氏の教えに戻り、「抑止力」を身につけていかなくてはならない…。藤島氏の思いは十二分に伝わっては来たのですが、やや意地悪な見方をすると、この「ネタ」の使い回しが多かった印象があります。それだけ重要な「思想」であるとも言えるのですがね。

次は、藤島氏がエディージャパンをどのように総括するのか、に期待したいです。あのチームの思想や信条にまで踏み込んだ分析にはまだお目にかかっていません。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-07-17 06:06 | 読んだ本 | Comments(2)

『えんじ色心中』を読んだ

えんじ色心中 (講談社文庫)

真梨 幸子/講談社

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久々に読んだ(最近この枕詞ばっかり)「イヤミスの女王」真梨幸子氏の作品。巻末の解説によれば、この作品はデビュー二作目だそうですが、文庫化されてからは日が浅いようです。

主人公の久保はライター。とはいえ、記名入りの記事がかけるほどの身分ではなく、テクニカルライターとして電子機器のマニュアルを作成することが主な生計の道。下請け、孫請けの悲哀をたっぷりにじませ、低賃金で短納期の仕事をこなしています。しかし、それだけでは食えないので、データ入力の派遣社員と掛け持ちします。睡眠時間もろくにとれないハードな仕事をこなしても、食うや食わずの生活が続く。二つの仕事に追いまくられて、心身ともに限界に近い久保の意識は次第に現実と非現実との境すらもあやふやになります。

そんな久保の精神状態にオーバーラップさせられて登場するのは久保の少年時代。彼は超難関中学(文中に示されている所在地や校章から察するに開成中学らしい)を目指し、合格率№1という実績を誇る学習塾に通っています。残念ながら久保のクラスはDクラス。合格の見込みは非常に低いとされるグレードです。時代は1990年代に入ろうというところ。ちなみに文中のリアルタイムは2005年という設定です。

親や塾の教師からは散々に尻をたたかれるもののの、日に日に開いていく上位陣との学力差とそれに伴って増大していく絶望感。そんな中、久保の前には一人の少女が現れます。一年年上ながら、帰国子女のためにその次の年の春に中学受験を迎える少女の名前を、久保はどうしても思い出しません。少女は、美容院を営む父方の伯母の家から塾に通っていました。塾からさほど遠くないその家はいつの間にか、久保と少女の隠れ家となります。勉強をサボってその家に豊富にある、ビデオやCDなどを観たり聴いたりしてまったりとすごす時に、やがて久保はどっぷりとハマッていきます。そりゃ、まあ興味の持てない勉強なんぞより、美少女といってよい異性と一緒に過ごす時間のほうが楽しいに決まってますね。本来ならそんなことを考えていてはいけない時期だからこそ、かえってその時間と空間はより強く久保をひきつけます。


もう一つ、この作品に素敵なおどろおどろしさを添えるのは、この塾の卒業生が主人公の事件。久保と同じように学力の低いクラスに振り分けられたものの、テレビのドキュメンタリー番組に取り上げられて以降神がかり的に成績を伸ばして、件の難関中学に合格したその少年は、入学したものの、中学という環境になじむことができずに、殺人者の記録ばかりを読む「変わり者」になってしまいます。その上、同居していた父や祖母に対して暴力を振るうようになったため、ある日父親はこの少年を殺害してしまうのです。しかし、いざ判決が下ってから、父親は自身の無罪を主張し始めます。

久保の落ちるところまで落ちた現状と、少年時代のくすぐったいような、それでいてわけのわからない衝動を持て余すような思い出、そして少年の殺人事件…。この三つは最後の最後で見事につながります。少々無理のある筋立てだという気もしますが、落ち着くべきところに落ち着いた、という気もします。

いずれにせよ、真梨氏の「イヤミスの女王」としての特性はこの作品に関してはさほど登場してきません。むしろ、社会的な問題の重さの方を強く感じました。

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# by lemgmnsc-bara | 2016-07-15 05:19 | 読んだ本 | Comments(0)

『高校入試』を読んだ

高校入試 (角川文庫)

湊 かなえ/KADOKAWA/角川書店

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最近、いろいろあって、本棚を整理したので、買った日付に関係なく、並んだ本を片っ端から読んで行く、というパターンで読書しています。標題の書は、本棚のまさに端っこにあったもの。

この本の解説はラジオドラマのディレクター氏が書いていますが、その解説によると、この作品は元々ラジオドラマ用の脚本として書かれたもののノベライズだそうです。作者湊氏が高校の教諭の経験があることも紹介されていました。氏の教諭の経験からいうと、高校という組織の中での最大のイベントは入試だそうで、そこを題材にしたとのこと。

舞台はとある県で一番お勉強もできて伝統ある高校。こういう高校ありますね。その県においては大学の名前出すより、高校の名前を出した方がハクがつくって高校。私の出た高校がまさにそのものズバリでした。「外界」に出た時の評価とは全く別で、その県内でしか通用しないものの、その県内でしか通用しないが故に強力な「権威」になってしまう高校。県庁や、市役所、県内最大手の地銀などでは学閥までできてしまう根の張り方。コネやら情実やらが絡んで、一層事態を深刻なものにするのがこの「伝統校」ってやつです。

そしてその伝統校に入るために、中学生は目一杯の努力を強いられます。そこに入る事が人生の究極の目標であるかのように設定され、そして遂行を求められる。首尾よく入学出来ればともかく、落ちてしまうと、犯罪者もかくやと思われるような後悔と自己批判の日々が待っています。しかし、試験の結果というのは全くのブラックボックスの中。一旦答案用紙を提出してしまえば、あとは他人の手にゆだねるしかなくなります。そしてそんな高校入試により人生を大きく狂わされてしまった人物たちが、その伝統校の入試に際して「入試をぶっつぶす!」というスローガンの下、いろいろな事をやらかす、というのがストーリーの大筋。どんなことをやらかすのかは本文をじっくりとお読み下さい。

展開はいつもながらのクリフハンガー方式。入試前夜の準備から始まって、当日の本番、そして教師による採点と合否判定といった時系列的な流れを様々な人物達の視点から描き、肝心の謎については最後まで引っ張っています。いつものことながら上手い展開です。そしてこの作品の重要な脇役となるのが、携帯電話とネットの掲示板。携帯電話は実際の試験に混乱をもたらしますし、ネットでは教員しか知り得ないような事実が克明に投稿され、教員や受験生、一人の在校生までを巻き込んで大きな混乱を巻き起こします。

そしてネットに関しては、そのあり方についての作者からの疑問が大きく提示されています。すなわち、なにか事が起こるとかならず巻き起こる当事者へのバッシングです。バッシングする方は匿名性に甘えて激烈な言葉を書き散らかしますが、バッシングを受ける方は、それをすべて受け止める、あるいは受け流す事が出来るとは限りませんね。そしてネットで叩かれたがゆえに人生を破滅に導かれた人物も登場します。

スッキリとしたハッピーエンドとまではいきませんでしたが、納得のできるエンディングではありました。たかが高校、されど高校。しかし、いざ世間に出てみればそんな「肩書き」など全く通用しないってのは今までの経験でよーくわかった、ってことも再認識しました。

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# by lemgmnsc-bara | 2016-07-10 07:31 | 読んだ本 | Comments(2)

『国を蹴った男』を読んだ

国を蹴った男 (講談社文庫)

伊東 潤/講談社

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『戦国鬼譚 惨』を読んで一気にファンになってしまった伊東潤氏の私にとっての二作目。この作品も、戦国時代を「敗者」の視点から描いた作品を集めた短編集です。

表題作『国を蹴った男』がなんといっても一番読み応えがありました。主人公は蹴鞠の鞠を作る職人五助。室町から戦国に入った時代、優雅に蹴鞠などをしている余裕は公家たちにも大名たちにもありません。蹴鞠をめぐるマーケットは衰退の一途をたどり、やがては消滅してしまうという予見がなされています。しかも同じ工房で働く、腕の悪い職人が親方の隠し子であることが発覚し、工房を継ぐという道も断たれてしまいます。そんな五助に一人の商人籠屋宗兵衛が声をかけます。今川家の跡継ぎ、今川氏真は当代一の蹴鞠の名手であり、蹴る鞠を作る職人を探している、という話を聞いた五助は一も二もなくその話に乗って駿府に向かうこととなります。今川家の当主義元は東海一の弓取りと称され、また武田、北条との三国同盟も強固に固められており、いつ上洛し、「天下」をとるか、が世間の耳目を集める存在でした。
しかしながら、史実にある通り、桶狭間の戦いにおいて織田軍の奇襲を受けた義元は落命。氏真は蹴鞠や和歌に勤しむ日々から、軍事と政治の先頭に立たされることとなります。ところが氏真は絵に描いたようなボンクラ。宮廷で求められるような古典の知識は豊富だし、蹴鞠の腕も超一流という文化人なのですが、政治家にはまったく向いていない人物として描かれています。こんな人物をアタマにいただいたことで今川家は没落し、その領土は他の列強の「草刈場」と化します。氏真は育ちのよさだけで宮廷とのつなぎ役を期待され、列強の間を転々とします。そして職人も氏真に従って各国各所を転々。次第に蹴鞠作りの職人から、身の回りの世話をすべて焼くようになる間柄にまでなります。
そんな折、織田信長が蹴鞠の会を催すとの情報が…。そしてそこに現れたのが、今川家に職人を斡旋した宗兵衛。宗兵衛が五助に持ちかけたのは驚くような陰謀の片棒を担がせることでした。食うか食われるかの戦国時代、こんなところにまで陰謀の糸が張り巡らされていたのか…、と思わせる筋立てはこれがまったくのフィクションだとしても思わずうなってしまう展開でした。
それにしても、人が人を素直に信じることができずに、少し甘い顔をみせると、すぐにそこにつけこまれ、命まで奪われてしまう戦国時代というのは過酷な時代だったのですね。あらためてその森厳さに思い至らせてくれる作品群でした。今の世の中も油断は惨事を招くことはありますが、一族郎党すべて死滅させられるようなことはめったにありません。あるとすれば、狂信者たちによるテロくらいですが、そんなテロのような事態が日常茶飯事だった戦国時代…。今の世に生まれて、この時代をエンターテインメントの一種として味わうことのできる幸せをかみ締めたいと思います。

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# by lemgmnsc-bara | 2016-07-09 05:02 | 読んだ本 | Comments(0)

『死に金』を読んだ

死に金 (文春文庫)

福澤 徹三/文藝春秋

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kindleのバーゲンセールにかかっていたのを衝動DLしたのが標題の書。

福澤氏といえば、怪談のコレクターというイメージが強い方なのですが、大藪春彦賞を受賞するなど「リアル」な作品の作者としても優れた方だったのですね。で、標題の作品は、今のところ作者唯一の連作短編集にしてかなり「リアル」な世界を描いています。

表現の「形式」は典型的なクリフハンガー方式。全体の主人公矢坂に関係する人々がそれぞれの章の主人公となり、その章は徹頭徹尾その人物の視点で描かれていきます。

主人公矢坂の職業は冷酷非常な金貸し。貸した相手からは法外な利息を取り、それこそ丸裸にして自殺に追い込むまで取り立てるという人物設定となっています。そして矢坂は末期がんで明日の命をも知れない状態です。籍だけは残っているもののほとんど没交渉な妻しか「家族」と呼べる存在のない天涯孤独の身。しかも家屋や外車と言ったような目に見える派手な資産もない。銀行にも一銭の預金もない。つまり、彼は稼いだカネを現金としてどこかに隠し持っているという設定にもなっています。この隠しガネをめぐって、それぞれに金銭的な問題を抱えた、上述の「妻」、むかし仕事でつるんでいた事のあるヤクザ、そのヤクザの親分、そのヤクザの同僚、などが代わる代わる矢坂を見舞い、カネのありかを聞き出そうとします。

矢坂はだれにもカネのありかを教えようとはしませんでした。一体何のために、どこにカネを隠しているのか?矢坂が口をつぐんでいるのは何故か?この謎にアプローチするために、前述の連中たちが知恵をしぼり、手を変え品を変え、なだめすかしおどし、泣き落としに土下座までしますが、矢坂は頑として口を割りません。カネが必要な連中の焦りが、その必死さの裏付けとなり、最初から最後まで緊張感の保たれた展開でした。謎が謎を呼ぶ、クリフハンガー方式の威力をまざまざと見せつける作品でした。そして最後には一気に謎が解け、様々な厄介事がすべてスッキリ片付く、というおまけまでついてきています。

よくよく読むとあざといくらいの伏線が張ってあったりするのですが、それを伏線と感じさせない筆運びは見事でしたね。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-07-07 12:21 | 読んだ本 | Comments(0)

『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』を読んだ

大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか (ベスト新書)

加瀬 英明/ベストセラーズ

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kindleのバーゲン本コーナーでみかけて衝動DLしたのが標題の書。加瀬氏の作品は初めて読みましたが、この方は第二次大戦や日本の戦争責任についての発言が多い方のようです。それも「敵役」が定番である従来の視点とは逆に日本の事を「良い役を多分に果たした国」という論調です。

この本も氏の論点に沿って、かなり日本びいきの論調が展開されています。欧米列強のクイモノにされていたアジア諸国に独立の機運をもたらしたのは、日本の「進出」であり、それが証拠に日本の薫陶を受けた人物たちは様々な国で現在でも独立化の志士としてあがめ奉られている、とか、太平洋戦争はアメリカが仕掛けた狡猾な罠に日本がハマってしまったのであって、本当に悪いのはアメリカなのだ、という「ネトウヨ」の皆さんなら随喜の涙を流すであろうお言葉が躍っています。

東京裁判についても、勝者とされる側が敗者を更に痛めつけただけの惨劇だったとし、日本に敗者としての自虐史観を植え付けたのはアメリカの陰謀だ、とまで言い切っています。

一種の極論本ではありますが、言っている事は必ずしもすべて暴論ばかりではないって気もします。日本の統治により、近代化への足がかりをつかんだ国があったのは事実ですし、戦後の日本の歴史教育は、「戦争は絶対の悪」という錦の御旗の下、戦勝国に多々ある不都合な事実は隠され「日本がやったことはすべて悪い」という論調で成されてきたのも事実です。そもそも戦争なんてどっちが良いとか悪いとか決められるものではないはずで、日本ばかりが悪者にされ続けることは不自然であるとは思います。

中国が南シナ海でのプレゼンスを強めていたり、政権与党が強行突破で「好戦的」な法案を通してしまっている時期にこうした本が上梓されるところに、なにかの意図を感じざるを得ない、と言ってしまったら穿ち過ぎでしょうか?しかし、読後最初に感じたのはその事でした。

先の大戦後平和ボケを謳歌し、安全保障をアメリカ軍に頼り切っている日本は外交と軍事をどのような方向に持って行こうとしているのでしょうか?漠然とした不安は、湯気の近くのガラスについたくもりのようにぬぐいきれません。

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# by lemgmnsc-bara | 2016-07-07 11:45 | 読んだ本 | Comments(0)

『バイロケーション スプリット』を読んだ

バイロケーション スプリット (角川ホラー文庫)

法条 遥/KADOKAWA/角川書店

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以前に紹介した『バイロケーション』の続編。ごく簡単に説明しておくと、バイロケーションとは自分の分身のこと。同じく分身として人口に膾炙している「ドッペルゲンガー」との相違点は、後者が本人自身にしか見えないのに対し、前者は他の人にも見え、かつ本人の行動の記憶は共有化される上にバイロケーション独自の経験値をも蓄積されて行く、というものです。この、本人は知り得ないバイロケーション独自の行動の記憶、というやつが物語の重要な要素となります。

今作の主人公東雲佐和の仕事は表向きは腕利きの料理人。どんな難しい客に対しても必ず満足感を与えるというどこかで聞いたことのあるキャラクターを付与されています。しかも自分の店を持たない「流れ板」としてどこの料亭にも出没可能。佐和がこうした「勤務形態」を取っているのは裏の仕事によるものです。佐和の裏の仕事は毒殺専門の殺し屋。ターゲットがよく利用する料理屋に潜り込み、料理の中に特殊な毒を仕込んで殺すという手口です。半年くらいの時間をかけて料理屋に入り込み、調理場を思うままに操る料理人の地位を築いた上で、殺しにかかるという巧妙さで、今まで手口の露見はおろか、疑いすらかかったことがないという完璧な仕事ぶり。

そしてこの仕事を可能にしているのがバイロケーションの存在でした。佐和のバイロケーションはとある屋敷に専属の料理人として雇われており、そのことで覆しようのないアリバイが成立するという仕掛けになっています。

この秩序はしかしとある一件の依頼をうけたことから徐々に狂っていきます。バイロケーションが勝手な行動を起こして、佐和は警察に疑われる身となってしまうのです。そして、その混乱でバイロケーションとの「境界線」が崩壊していくことを感じた佐和。この辺は自分のアイデンティティーの揺らぎの非常にわかりやすい寓意になっています。とある行為をしてしまった自分に対し、その状況を批判する自分もいて、批判する自分に反論する自分もいる。さらにいえば議論する自分たちを俯瞰している自分も存在する。自分の中に数々の主体と客体とを持ち合わせているのは人間としては当然のオハナシ。しかし、その思考主体たちが目に見えるカタチで現れ、さらに現実の世界に影響を及ぼし始めたら…。心神耗弱、とか記憶にない、とかいうのはこういう状態を指すのでしょうね。

自分が自分であるという自覚を持てないというのは恐らく一番怖い事なのではないか、と思います。なにも料理人を装った殺し屋、などという特殊な環境下でなくても普通の日常の中で、感じていながらも見ないフリをしてきた根源的な恐怖について考えさせてくれた作品でした。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-07-03 07:56 | 読んだ本 | Comments(0)

『クリード チャンプを継ぐ男』鑑賞

クリード チャンプを継ぐ男 ブルーレイ&DVDセット(初回仕様/2枚組/デジタルコピー付) [Blu-ray]

ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント



ボクシング映画の金字塔『ロッキー』シリーズの最新作。さすがに元祖ロッキー、シルベスター・スタローンの復帰は年齢的に無理。何しろすでに還暦超えてるんですから。いかに薬を使おうと、いかに筋トレを欠かさずにいようと、役者本人の肉体が見るに耐えなければ、それだけで作品としては成り立ちません。

というわけで、この作品でのスタローンの立ち位置はトレーナー。そして実際にリングに立つのは『ロッキー3』の敵役、アポロの息子アドニス・ジョンソンです。作中アドニスはダニーと自らのニックネームを名乗っていますので、この投稿中は彼のことをダニーと呼ぶことにします。

ダニーはアポロの愛人の子供。施設を転々としながら、ケンカに明け暮れる毎日を送っています。そこに登場するのはアポロの正妻メアリー・アン。彼女はダニーを引き取り、養子として育てます。何不自由なく教育も受けさせ、「真っ当なビジネス」の場で成功を修めつつあったダニーですが、血は争えなかったようで、ボクシングの世界に惹かれていきます。当然のことながら、周りはダニーの行動を諌めるのですが、ダニーを止めることは誰にもできません。

そして、その情熱はボクシングに関わることを一切辞めていたロッキーをも突き動かし、ロッキーはダニーのトレーナーとして、彼を鍛えぬくことを決意。ロッキーに鍛え上げられたダニーが不敗のチャンプに挑むというのがざっくりとしたストーリー展開です。

まあ、ストーリー展開は読めてました。あとはアカデミー賞を受賞した第一作のように「わかっているのに、手に汗を握ってしまう」というドキドキ感をどこまで高めてくれるのかが勝負。そういう意味においては、会心の出来とまではいかないまでもそれなりに仕上がった作品だったとは言えるでしょう。我々がスポーツというものから感じるドキドキ感とはいったい何なのか?作り物であってもドキドキしてしまうシュチュエーションとは一体どんなものなのか、ということについて改めて考えさせてくれる作品ではあります。まあ、それ以外にこの作品を鑑賞する価値はありません。

ムダに引っ張って第二シリーズ化するような真似だけは避けて欲しい作品でした。
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# by lemgmnsc-bara | 2016-07-01 20:12 | エンターテインメント | Comments(0)

『ライアー・ハウス』鑑賞

ライアー・ハウス [DVD]

ジーナ・ガーション,ヴァル・キルマー,ケリー・ギディッシュ,レイ・リオッタ/TCエンタテインメント

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キャッチコピーに「家の中全部嘘つき」とある通り、ちょい役を含め7人しかいない登場人物のうちの4人がウソつき。誰が一番の大ウソつきなのかをめぐって、二転三転するストーリーはなかなか面白かったような気がします。

物語は中年女のロナが主人公。夫婦喧嘩の果てにフライパンで、気絶するほど強く夫デールを殴ってしまい、そこに親友のタイニーを呼び出します。そこでロナはタイニーにデールが銀行強盗をはたらき、それで得た10万ドルという大金をどこかに隠しているはずだから、デールを問いつめてそのカネのありかを聞き出して一緒に持ち逃げしよう、と持ちかけるのです。しかし、詰問中に誤ってロナがデールを射殺してしまいます。そして、ストーリー的には非常にタイミング良く、ロナとタイニーにとっては最悪のタイミングで保安官が登場。警察からもデールが強盗犯として疑われていることを知ったロナはデールの死体の処分についての協力をタイニーに依頼します。

冒頭の、思わせぶりな食材および調理過程のドアップ映像が暗示していたように、前半はかなりのスプラッターな展開で、血しぶきどころか文字通り血みどろな状況が出来するので、グロいのがダメな人は避けた方が良いです。ただ、このあたりの描写はスプラッターでありながら、笑わせる事を意図していたようで、それなりにおかしいのは事実です。まあ、ゲラゲラではなく、クスり、程度の笑いしか生んでいないのも事実ですが…。

後半部分でちょい役ながらストーリー展開に重要な影響を与える、狂言回しを兼ねた私立探偵が登場。物語が、単なるスプラッターから愛憎劇へと変化します。ここから展開は無理矢理でぐちゃぐちゃなものに再度変化します。オチについてはそれなりの意外性があり、珍しくすべてがメデタシメデタシではなかったところを私は買います。なんとなく居心地の悪いエンディングであったことが否めないのは「ハッピーエンド渇望症」というハリウッド映画を見慣れた人間がかかりがちな病いの為せる業だとしておきましょう(笑)。

出来はともかく、好き嫌いの分かれる作品ではあると思います。食事中にはみない方が良いであろうことは間違いないと思います。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-07-01 05:39 | エンターテインメント | Comments(0)

『交渉人・籠城』を読んだ

交渉人・籠城

五十嵐 貴久/幻冬舎

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私が、五十嵐貴久氏という類いまれなるエンターテインメント作家を知る事になったのは、書店でふと手にした『交渉人』という一冊を読む事によってでした。本作は、そのシリーズの三作目にあたります。主人公は警視庁の遠野麻衣子警部。ドラマ化された際はいずれ劣らぬ美女たちが演じた役柄でもあります。

さて、物語は110番に入った一本の奇妙な電話から始まります。電話の主は都内で喫茶店を営む福沢という男。この男がなんと自分の店の客を人質にとって籠城したと自ら電話してきたのです。110番の係官も読者が真っ先に感じるであろう疑問を福沢にぶつけます。「一体、何故そんなことを?」当然のことながら、物語の前半はこの謎を解くためのストーリーが展開します。

ヒロイン遠野麻衣子は、前二作に比べると、ずいぶんと「安定感」が増したような気がします。元々交渉人は沈着冷静で、細心かつ大胆な交渉で犯人と丁々発止やりあう事が職務。前二作では警察という「男」の社会のなかで戦う女性としての側面もかなり強調されていたのですが、今巻に関しては今までの「実績」がモノを言ってか、「女に何が出来る」みたいな先入観で行動する人物は登場しません。しかしながら、活躍する女性を快く思わない上司は登場します。そしてその上司は最初、麻衣子をサブの交渉人に指名するのです。ところが、そのメインの交渉人(当然男。かなり面倒くさいキャラクター)が、いきなり籠城犯福沢に店の中に引きずり込まれた(少なくとも傍目にはそう見えた)ことで、一気に福沢との交渉の最前線に立つ事となるのです。

さて、そこからは「ベテランの交渉人」としての麻衣子のウデの見せ所。前半最大の謎「一体福沢は何故こんなことを?」に対する答えを探しつつ、人質たちの安全を最大限に配慮しながら、事件を解決に向かわせるという、考えるだに七面倒くさいシチュエーションが展開していきます。

やがて、福沢の動機が明らかになっていきます。『交渉人』一作目の最後の最後まで謎を引っ張るような展開にはなりません。福沢の目的はやがて明らかになり、そして警察は彼の無茶な要求をのまざるを得ない状況に追い込まれます。そこで警察が講じた手段とは?現実の世界ではまず実現しそうにない手段だ、とだけ言っておきましょう。

そして最後の最後、どんでん返しが待っていました。一作目ほどの意外性はありませんでしたが、それなりに驚かされるものだった、とだけこちらについても言っておきましょう。あと一つ、犯人福沢は現代社会が持つ大きな矛盾の一つに翻弄された事によりこの籠城を思いついた、ということも述べておきたいと思います。

このシリーズも次回作が待ち遠しいものの一つです。今巻もドラマ化されないかなぁ…。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-30 21:02 | 読んだ本 | Comments(0)

『ベンハムの独楽』を読んだ

ベンハムの独楽 (双葉文庫)

小島 達矢/双葉社

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腰巻きの「第5回新潮エンターテインメント大賞受賞!」の文字に釣られて衝動買いした一冊。小島達矢氏という作家の作品を読むのは初めてです。「新潮エンターテインメント大賞受賞」作なのに双葉社文庫から出版されているのは何故か?これも一つのミステリーか?などと考えながら読み始めました。

題名となっている「ベンハムの独楽」とは白と黒のみで模様が描かれているにもかかわらず、回すと様々な色が見えてくるという、不思議なコマらしいです。この本に収められた作品たちも、日常のほんの何気ない瞬間の先に待ち受ける奇想天外な世界を描いたものたちでした。まさに言い得て妙な題名です。

ストーリー展開や結末が超常現象的になっているものもありましたが、それよりも現実に十分にありうるシュチュエーションを取り扱った物語の方がより迫真性が高かったような気がしますね。『スモール・プレシェンス』や『クレイジー・タクシー』などの展開は、周到に準備さえすれば、現実の問題として実現は可能であるように思います。真面目にやろうとする人間はそうそういないとは思いますけどね。

何の脈絡もないようにみえる、理不尽な展開が実はある一点への収縮を目指していたと知った時の驚きと快感はまさに初体験。手慰み程度ではありますが、少々文章を書いている身としては、どうやったらこんなストーリーがひねくり出せるのだろうか?という感嘆と嫉妬を感じました。私はド現実に即した文章しかかけませんので…。まあ、これは小島氏の才能だとしか言い様がない事なんですけどね。

小島氏の作品は標題のものの他、3冊ほど上梓されているようですね。本屋で見かけたら衝動買いしてしまいそうです。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-25 09:01 | 読んだ本 | Comments(0)

『キラキラネームの大研究』を読んだ

キラキラネームの大研究 (新潮新書)

伊東 ひとみ/新潮社

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最近のお子ちゃまの名前ってのは難読ですね。一時期ネットで叩かれていたのは「泡姫」(アリエル)。私はこの文字面をみると、某風俗産業に従事する女性しか思い浮かべられません。それからキラキラネームの元祖と言われているのが「光宙」(ピカチュウ)言わずと知れた人気アニメのメインキャラクターの名前ですね。私が見聞した「実例」では「緑夢」(グリム)。メルヘンチックな名前ですが、当人はムキムキの男子高校生でした。ちなみに以前同僚だった3歳の子持ちのママさんによれば、「あ、そのくらいの名前は結構ありますよ」とのことでした。いやはや。おじさんにはついていけません。こういうのも老化の一端なのでしょうかね…。

さて、著者の伊東氏は、巷に跋扈するキラキラネームの実例を挙げて、その一つ一つにつき、日本語の特性から考えた成り立ちと命名者の心理にまで立ち入って解説を試みています。

本文では取り上げられていませんが、例えば先ほどの緑夢君。緑を「グリ」と読ませるのは当然のことながら日本語の読み方としてはあり得ません。英語のgreenから来ている事は明白なのですが、氏はこれを、外来語を取り込み、いつの間にか定着させてしまう日本語の特性の一環と定義づけています。これはかなり歴史の古い「慣習」で、我々が日常使用している漢字も元々は中国から「輸入」されたもの。それをネイティブな日本語に当てはめて成立したのが現在の日本語ですね。ですから、漢字には多くの場合、音読みと訓読みが存在し、元々の意味とは食い違ってきてしまうことがある。

さらに、漢字が表音文字ではなく表意文字であることもキラキラネーム出現の一つの原因であるとも述べています。アリエルという純粋な言葉の響きはともかく(日本人にアリエルってのもどうかとは思いますが…)、泡姫という字面から、どうしてもスケベな連想を持たざるを得ないんですよね。ちょっと古い流行言葉で言えばシニフィエとシニフィアンの乖離とでも言いましょうか。

そしてまた、名前の場合はどんな漢字にどんな読みをあててもいいんです。有名なところでは「宇宙」と書いて「ひろし」と読ませた元プロ野球選手がいましたね。たまたま私は今ある名簿を整理する仕事を割り当てられているのですが、この連想ゲームのような壮大な読み方でなくても「え、この漢字でこの読み方するのか…」という例は結構あります。そもそも私自身の実名にしてからちょっと特殊な読み方をするので、初対面の人にはなかなか正しく読んでもらえません。社会人になって名刺を作った時にはルビをふってもらいました。

現在の「親」の世代の行動様式や心象風景に大いに影響を与えたのがゲームやアニメであることは論を俟ちませんので、キラキラネームの多くにその影響がみられることはある意味当然ではあります。私などは一生付いて回る名前というモノに変なイメージをまとわせてしまう事に関してはかなりの違和感を感じますが、今の親の世代には私が感じるような違和感は存在しないのでしょうね。当家には子供はいませんが、もし子供が出来ていたら、ごく平凡な、読んで字のごとし、という名前を付けたと思います。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-21 06:00 | 読んだ本 | Comments(0)

『「魔性の女」に美女はいない』を読んだ

「魔性の女」に美女はいない(小学館新書)

岩井志麻子/小学館

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イヤミスの女王にして下ネタ満開でも有名の岩井志麻子氏の「魔性の女」ルポ集。

「魔性の女」とは何でしょうか?年齢に関わらず、女性としての魅力がそれこそあふれていて、男を骨抜きにして多額の金品を引っ張り出し、果ては男を破滅させる女とでも定義出来るでしょうか。そしてその魅力の第一位に挙げられるであろう要素が「美貌」ってやつですね。そんな顔かたちが「美貌」なのか、という基準は人それぞれであり、統一見解を出すのはなかなか難しいのですが、例えば吉永小百合さんを「ブス」だという人はあまりいないと思います。彼女がフェロモンむんむんで迫ってきたら…、タモリ氏を筆頭に、地位も名誉もすべて投げ捨てて、落ちるところまで落ちても止むなしと考える男性は多いと思います。

しかるに、つい数年前には、お世辞にも美貌とは言えない「魔性の女」が連続してマスコミに登場して話題をさらいましたね。木嶋佳苗に上田美由紀、それに後妻業という言葉を世に広める事になった筧千佐子。彼女たちは皆容姿的には俗にいう十人並み以下。にもかかわらず、何故彼女らを信頼し、愛し、カネはおろか命まで奪われるような事態が出来したのか?

木嶋佳苗などは自ら「女性器の質がいいとほめられた」などという迷言を法廷で披露し、世間を唖然とさせましたが、春をひさぐ職業でもない限り、そういうものの具合を試すまでにはある程度の期間と交流が必要なはず。そしてそのきっかけとして大きな要素をしめるのは見てくれですね。これは男も女も一緒。合コンなどで報われぬ思いを散々味わってきた身としては第一印象でこの3人を選ぶ人間が多いとは思えません(苦笑)。

岩井氏はこの不可思議さに男女の関係の玄妙さを読み取っていきます。美貌という武器を持たない女性は、その分気持ちを働かすとか、家事を完璧にこなすとか、料理が飛び切り美味いとかいう武器を努力して手に入れ、パートナーを獲得しようとしますね。それは「魔性の女」も普通の女も一緒。ただし「魔性の女」は男を破滅させる方向にその手練手管を使うから始末に悪い。今回の例は命まで落とした男性が出たことで「事件」となり大きく取り上げられましたが、だまされて貢がされている男は少なくないはずです。幸か不幸か、私は自分に「モテ要素」がないことをしっかりと自覚したおかげで、甘言に惑わされる事はありませんでしたが(苦笑)。

その他、この本では結婚という制度が男女関係に及ぼす影響についても様々な実例を挙げて述べています。何が何でも妻という座にしがみつきたい女と、多少の出血は覚悟で別れたい男。妊娠をタテに男に結婚を迫るという古典的ながら実効性は高い方法も多々見られますね。それでも最近はDNA鑑定なんて方法がありますから、うやむやのうちにってな機会は減ったのだと思います。岩井氏自身も、二度目の結婚相手である18歳年下の韓国人男性と離婚をめぐるトラブルを経験しています。一緒に添い遂げてみなければわからないことも多々あるのですが、結婚前にしっかりと人物を見定める事は必要ですね。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-19 17:11 | 読んだ本 | Comments(0)

『フードバンクという挑戦ー貧困と飽食のあいだで』を読んだ

フードバンクという挑戦――貧困と飽食のあいだで (岩波現代文庫)

大原 悦子/岩波書店

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日本は世界に冠たる食糧輸入国です。カロリーベースの自給率が40%を超えるか超えないかウロウロしていることは時々問題視されますが、その一方で米作農家には「減反政策」を推進するという矛盾した体制も持ち合わせています。世界各地から、自分たちの食べる食糧の6割は輸入しているというのに、毎日毎日膨大な量の食糧が、賞味期限切れを理由に廃棄されています。消費期限切れ、というのは美味しく食べられる時期を過ぎてしまったという事。まだまだ安全に食す事の出来るものが大量に捨てられているということです。

単純に考えて実にもったいない。でもこの状態をどうにかしようという人物はなかなか日本には現れませんでした。なんとかこの矛盾を解消しようにも、なにかある度に出来するお役所の「縦割り行政」と「前例主義」というやつに阻まれていかんともしがたいという状況が続いていました。満足にモノが食えずにいる人々が多数いるにもかかわらず、です。

そしてこの壁をぶち破ったのは日本人ではなく、チャールズ・E・マクジルトンという一人のアメリカ人でした。本国で荒れた生活から更生したという経歴をもつチャールズ氏は日本に来て、山谷のドヤ街で何をするでもなくふらふらしてその日の食べるものにも事欠く人々を見て、なんとか彼らを救えないかと思い立ちます。そしてたどり着いたのがフードバンクという仕組みでした。

「世の中の仕組みを変えるのはヨソモノとバカモノ(これにワカモノが加わることもあります)だ」という言葉がありますが、捨てられる食物と飢えている人々のあいだをつなぐ存在としてのフードバンクを日本で開始したのはヨソモノのチャールズ氏でした。彼は日本特有の壁に悩まされながらも最後にはそれをクリアしてフードバンクを設立します。そしてその動きは全国にひろがりつつあります。とはいえ、まだまだ救われない人々、食糧共に多いのが現状です。

俗に「自分一人の収入では食っていけないから、女房がパートに出るようになった」などと言いますね。日本では「食う」というのは生活のすべてを指す言葉でもあるのです。それだけ重要な食すらも事欠く人々の最後のセーフティーネットがフードバンクなのです。アントニオ猪木氏ではありませんが「元気があれば何でも出来る」、しかし逆に言えば元気がなければ何も出来ないわけで、元気の根源になるのが食事です。元気のありすぎる企業が有り余らせた食糧を一番元気が必要な人々に分け与えるフードバンクという仕組みはまさに元気の再配分ですね。こうした動きがより活発になる事を望みたいです。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-18 17:56 | 読んだ本 | Comments(0)

『新・世界三大料理』を読んだ

新・世界三大料理 (PHP新書)

神山 典士/PHP研究所

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世界三大料理とは一体どこの国の料理を指すのでしょう?

この「三大」という格付けの仕方は日本独自のものらしいですね。世に「世界三大〜」という格付けはあふれかえっていますが、そのほとんどは日本が発祥。他の国々では三大などという格付けはなく、「自分の国が一番!!」って主張ばかりのようです。この辺は白黒はっきりつける事がかならずしもいいことではない、という日本人の心象をよく表していると思います。

唐突な余談が入りましたが、冒頭の問いかけの答えはフランス料理、中華料理、トルコ料理だそうです。しかし大抵の「三大」と同じように三つ目に名が挙がるものに関しては諸説あるようですね。例えば、「日本三大うどん」。讃岐と稲庭は当確ですが、群馬県人は水沢、九州に行けば長崎の五島うどん、北陸は富山の氷見のうどん、果ては名古屋のきしめんなど諸説あります。これに関してははっきりと決着をつけないところも日本的。まあ下手に決着をつけたりすれば戦争が起こりますな(笑)。

三大料理もフレンチと中華は「確定」ですが、三つ目に関してはイタリア料理を挙げる説もあれば、世界遺産に認定された和食を挙げる声もあります。標題の書は三つ目として和食を挙げ、フレンチ、中華との比較を試みています。

和食のもっとも重要な特色はなんでしょうか?著者神山氏はそれを「引き算の技法」にあると述べています。

フレンチにせよ、中華にせよ、食材に様々な手を加えます。すなわち「足し算の料理法」ですね。フレンチの花形はなんといってもソース。様々な食材を用いて作り上げられるソースは他の料理の追随を許しません。また中華も素材そのものには味のないようなフカヒレやツバメの巣などに実にいろんな技法で、時間も手間もたっぷりとかけてしっかりと味を含ませます。

対して和食はいかに素材の持ち味を引き出すかが勝負。あくを抜いたり、雑味を取ったりということにはある程度の手間をかけますが、その土地土地の、それぞれの季節を彩る食材たちの持つ自然な旨味を引き出す事が最大の技術です。

こうした、和食においてはいかにいい素材を見つけるかが最大の勝負となります。まがい物の食材がはびこっている現代だからこそ、本物の食材を見極めるトレーニング方法としても和食はもっと世界に広がってよいのではないかと思いますね。そのためには、和食に携わる人々が情報発信をしていかなくてはなりません。現代社会においても、国賓をもてなす際の料理は大抵の場合フレンチです。日本だって例外ではありません。これはフランスという国が外交の一つの武器として、「美食」をアピールし続けた結果にほかなりません。

今後は和食がその地位を奪うくらいに伸張させていくべきでしょう。まずは日本の国賓にはきちんとした和食をしっかり食べてもらう事から始めましょう。





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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-13 22:14 | 読んだ本 | Comments(0)

『尺には尺を』鑑賞

『尺には尺を』

ひょんなことからチケットを手に入れ、鑑賞しにいったのが標題の劇。藤木直人、多部未華子というスターに、辻萬長という渋い俳優が絡み、脇役にくせ者が多々登場する喜劇。故蜷川幸雄氏の「遺作」でもあります。

浅学にして知りませんでしたが、さいたま芸術劇場は蜷川氏演出でシェイクスピア原作の演劇37作すべてを上演する、という壮大な計画を持っていたようです。蜷川氏亡き後、この企画はどうなるのか、関係者にもわかっていないようです。ちなみにまだ上演していない作品は5つあるそうです。

さて、シェイクスピアを学んだことのある方には自明の事なのでしょうが、私は中学の演劇教室で『ヴェニスの商人』を、高校の演劇教室で『オセロー』を観た事があるに過ぎません。堤春恵氏の脚本による『ハムレット』の翻案劇『仮名手本ハムレット』は何度か鑑賞したことはありますが、きちんとした劇場で、きちんとした俳優が演じるシェイクスピアの作品を自分でオカネを出して観に行くのは今回が初めてです。世界に冠たるシェイクスピア作の演劇ですからさぞかし難解な、訳のわからない高尚な演劇が展開されるのかと期待半分、緊張半分で開場5分後くらいに着席。ちなみにS席、当然指定席。なにしろ前売りで一人9500円も取るんですから(苦笑)。

舞台上では演者たちのウォーミングアップが行われていました。発声を行う者、ストレッチを行う者、小声でセリフのやり取りを」練習する者…。これも演出の一環なんでしょうね。なかなかに興味深い開園前風景でした。こういう風景が展開される演劇は初めて観ました。ますます緊張しちゃいましたね。

今回の観劇に関しては予備知識を一切入れずに鑑賞しました。まっさらな状態で蜷川演出を観てみたかった、というのは言い訳で、単にコンテキストを読み込んでおくのが面倒だっただけのオハナシです。

開始早々、重々しい演技が展開される、という予想は見事に裏切られました。後からググって調べたら、この演目は「喜劇」に分類されるということでした。開演前の緊張はどこへやら、最初は微笑、そのうちゲラゲラと笑わせてもらう事になります。

ストーリーはウィーンが舞台。彼の地を治めていたヴィンセンシオ公爵(辻)は、アンジェロ(藤木)という若者に権限をすべて委譲した上で、周辺諸国との外交交渉のためにウィーンを留守にする、というところから始まります。実はこれはアンジェロを試すための公爵の策略。ウィーンを後にしたとみせかけて、実はウィーン内の修道院に入り、修道士に身をやつします。

権限を委譲されたアンジェロは性風俗の取り締まりを強化します。そこで罪に問われたのは、婚外子をもうけてしまったクローディア。アンジェロは正式に結婚せずに子供を作ってしまったカップルの男性を死刑に処す、という古法を厳格に適用しようとします。そこに登場するのは修道女になることを目指すクローディアの妹イザベラ(多部)。ヴィンセンシオ公爵扮する修道士はイザベラの純潔を「エサ」にアンジェラを翻意させることを画策します。この辺は、ヨーロッパのキリスト教の戒律、というものの重さを理解していないとなかなか理解しづらいですね。今の日本人の「常識」なら、「命が助かるなら、一回くらいサセればいいんじゃね?別に減るもんじゃねーんだし…」ってな感情に駆られること必至だと思うのですが、シェークスピアがこの作品を執筆した当時の「常識」からすれば、神に純潔を捧げようとする修道女見習いが、その純潔を生身の男に捧げる事の重さというのは計り知れませんね。援交する女子高生が「処女」の商品価値をふっかけるのとは訳が違います。

さてさて、イザベラはどのようにアンジェロの欲望をかわし、兄の命を救うのか?ヴィンセンシオはアンジェロのことをどうしようというのか?Wikipediaを参照すればストーリーはモロバレなのですが、あえてここでは結末をあかさないことにします。知りたい方は実際の演劇をご覧下さい、って6/11で上演は終わっちゃいましたがね…。

中学時代の『ヴェニスの商人』のストーリーがよみがえるような、勧善懲悪のハッピーエンド。タイトルの『尺には尺を』というのは他人の罪を裁くには自らの行動を尺度にせよ、という聖書の中の言葉から取られているそうです。なるほど、なるほど。そういうコンテキストをアタマに入れて観ると「なるほどなぁ」と感じざるをえません。また、喜劇という性質上でしょうか、今日的な演出のコントじみたシーンも挿入されましたし、一発屋芸人のギャグをもじったようなシーンもありました。一字一句原作の通り演じろ!!という故蜷川氏の演出を予想していただけに、この演出は意外でしたね。

カーテンコールの最後の最後には蜷川幸雄氏の遺影が掲げられ、それを観た観衆は自然にスタンディングオベーションを贈っていました。劇の内容とは別にこのことにも感動しました。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-12 20:09 | エンターテインメント | Comments(0)

『昭和芸人 七人の最期』を読んだ

昭和芸人 七人の最期 (文春文庫)

笹山 敬輔/文藝春秋

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題名通り昭和の初期から中期にかけて活躍した芸人七人の死に様のルポルタージュ。

著者笹山氏はプロローグで、歌手や俳優は老いさらばえの歳になっても「演技に味が出た」とか「若い時には感じられなかった豊かな表現力」などとほめられる事があるが、芸人は面白くなくなったらそれでおしまい、という厳しい現実を示しています。エノケン氏が自ら語っているように、「笑ってもらっているうちが花。同情されるようになったらおしまい」。そして、笑いがとれなくなった芸人ほどみじめなモノはありません。故に芸人の死に様は悲劇的なものにならざるを得ないという厳然たる事実を描いています。

松鶴家千代若・千代菊師匠みたいに、元々くたびれたことをネタにしていたコンビは例外ですが、芸人というのは歳を経る毎に面白くなくなっていきますね。観る側はある意味無責任に新しいもの、新しいものを求めますが、演じる方が持ちネタをどんどん作り上げていく事は至難の業。加齢に伴う体力の低下、そして感性の鈍化。売れた経験がある芸人には、過去の成功体験を捨てきれない、という葛藤もあります。これらの要素がすべて絡み合って「面白くなくなっ」ていき、そして大抵の場合は、芸人としての死とともに人生も終わる事になるのです。

標題の書に収められた芸人は榎本健一、古川ロッパ、横山エンタツ、石田一松、清水金一、柳家金語楼、トニー谷の七人。どの方も、私はリアルタイムでは観ていませんので全盛期にどれくらい面白かったのかについては想像する他ありません。唯一、トニー谷氏だけは大滝詠一師匠が編集したCDを買い求めたことと、ルー大柴の「ルー語」の元祖がトニイングリッシュだとちょっと話題になったことで、多少強めのイメージを持つ事ができます。それにしても彼の「ライブ」を観た訳ではありませんので、想像の域はでません。

死に様はそれぞれみなうらぶれています。芸人としてのアイデンティティーを失い、しかも挽回するだけの体力もアタマもない。失意のうちの死、というのはまさに芸人のためにある言葉のようです。

今の私の一番の心配は小堺一機氏の行く末です。4月に30年以上続いたお昼の番組が終わってから、ほとんどメディアに出なくなりましたし、毎年ライブで観ている『おすましでSHOW』も今ひとつ元気がないように思います。実際に空席が目立ちましたしね…。どっこいまだまだ老け込む歳じゃねーぜってな姿をみたいものです。こういうワガママが芸人自身を一番疲弊させるのだという事はわかっているのですがね…。



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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-06 21:57 | 読んだ本 | Comments(0)

『考えすぎた人−お笑い哲学者列伝−』を読んだ

考えすぎた人―お笑い哲学者列伝―(新潮文庫)

清水 義範/新潮社

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清水義範氏による哲学者列伝、って題名そのままですね。しかし、題名には「お笑い」とも書かれています。この「お笑い」の要素こそが清水氏の真骨頂。そしてもう一つの清水氏の特色は「教師」としての視点。つまり、難しい事柄をいかに知らない人々にうまく伝えるかという観点からの文章です。標題の書は清水氏の思想とテクニックが見事に融合された一冊に仕上がっていました。

そもそも哲学って難しいですね。文学部出身で、読書好きでは人後に落ちないと自負している私でも、敬遠しています。いままでに哲学・思想書の類いで満足に読了出来たものは記憶にありません。文章の一つ一つを読み解くのに時間がかかり、そのうちに集中力が切れて眠くなってしまうからです。清水氏自身も文中及び脚注(この脚注が実に面白いのもこの本の特色)において「解説書」の丸写しの箇所があると語っていますし、あとがきでは素直に、よくわからない考え方も多々あったというような主旨の事を述べていたりもします。

まあ、これは謙遜のうちで、小難しい事柄を実にやさしく、面白い読み物に仕立て上げてくれていました。しかも、その展開は古畑任三郎の語り口調あり、「共演」の機会の多い、西原理恵子氏のエッセイ風の文章あり、と実にエンターテインメント性に富んでいます。パスティーシュ小説の第一人者としての面目躍如といったところでしょうかね。

この一冊、嬉しいような困ったような副作用をもたらしてくれています。そもそもの哲学書を読みたくなってしまったのです。そもそも哲学書ってのは、内容さえ理解出来れば「ああ、なるほど」とか「うん、わかるわかる」という発見に満ちたものなんです。要するに、自分の目の前に広がる世界がどのような理屈でどのように動くか、ってなことをエッセンスにして見せてくれるのが哲学ですから。ただ、使われている言葉が難解。ある人のある文脈で使われた術語は別の哲学者の文章につながる。そしてその哲学者の文章はもっと古い、もっと高名な哲学者の言葉なり、文章なりにつながっていく。そのうちに訳がわからなくなってしまい、最後には本を投げ捨てて、「なんでもかんでも難しそうに書きゃいいってもんじゃねーぞ、こら。だいたい、難しい事をやさしく解説し直す事が出来るってのが、『アタマのいい人』の定義のはずだろーが。もっとわかりやすく説明してみろよ、このヤロー!」とだれに言う訳でもない捨て台詞を残して、酒をカックラウしかない状態になってしまう、というのが今まででした。この一冊が、わかりやすく解説をしてくれたおかげで、なんとか酒をカックラッたりせずに、冷静に向き合うための心構え的なものが出来たような気がします。というわけで、先日の衝動買いツアーの際は何冊か哲学書の類いを買ってきてしまいました。買ってきたはいいけどいつ読み始めるのかについては私にもわからない状態ですがね…。




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# by lemgmnsc-bara | 2016-06-05 07:40 | 読んだ本 | Comments(0)

『カラヴァッジョ伝記集』を読んだ

カラヴァッジョ伝記集 (平凡社ライブラリー)

石鍋 真澄(翻訳)/平凡社

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2011年のイタリア旅行以降、当家では彼の国に対する関心の高さが継続しています。パスタにピッツァにワイン(って食い物ばっかりじゃねーか!!)、ラグビー(そんなにメジャーじゃない。少なくともサッカーより日本での関心は低い)、本、旅番組など、イタリアに関するモノゴトは常に身近にあります。そんなこんなで今週は「カラヴァッジョ展」を観に行ってきました。

会場である国立西洋美術館のある上野公園は『若冲展』で人があふれかえって(平日の昼間だというのに会場入りまで1時間待ち)いましたが、「カラヴァッジョ展」もこじんまりと盛り上がっていましたよ。

で、この展覧会を観る前に知識をアタマに入れておこうと買い込んだのが標題の書。結局は展覧会を観る前に読み終わる事はできなかったので、中途半端な知識を持っただけで終わってしまいましたが(苦笑)。

さて、「カラヴァッジョ」というのは地名です。本名は「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ」という長ったらしい名前です。無理矢理日本語に直すと、カラヴァッジョ村(ミラノの近くにある田舎町)のメリージ家のミケランジェロってことになります(有名なレオナルド・ダ・ヴィンチもヴィンチ村のレオナルドって意味になります)。

この人物はゴシック期を代表する画家で、目の前の事物をあるがままにカンバスに再現することで、当時の美術界の常識をまるっきりひっくり返した人物として知られています。その先進性ゆえ、当時の画壇は容認派と否定派にはっきりと二分されたのですが、後には、彼の「画風」にあこがれ、その手法を真似る「ジャラヴァッジェニスキ」というフォロワーたちを多数生み出す事となります。カラヴァッジェニスキたちはイタリアのみならず、ドイツやオランダにも少なからず出現したそうで、彼らの作品も多々展示されていました。それまでは絵の題材の「欠点」を修正して美しい姿を描く事が一般的だったのですが、カラヴァッジョの出現以降、対象をよりリアルに描く、という思想を持った一派が美術界にそれなりの勢力を持つこととなります。

絵の方のウデはともかく、このカラヴァッジョ氏、私生活はかなり荒れていたようです。とにかくケンカっ早い。標題の書には、カラヴァッジョの「犯罪」に関しての裁判資料が数多く収められています。中でも一番の大罪はテニスの試合でのイザコザが原因で人を一人殺してしまったこと。こうしたトラブルが原因で絵の名声ほどには私生活は充実せず、イタリア各地を転々とすることを余儀なくされたようです。挙げ句には彼に恨みを持つ人物に顔を殴られて重症を負い、最後には急病で亡くなってしまうのです。破滅型の天才だったのですね。

私のようなコンテキスト読みにはなかなか良い一冊であったように思います。ただ絵を流して眺めて終わりってな鑑賞よりは少し深い鑑賞が出来たように思います。

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# by lemgmnsc-bara | 2016-05-28 20:47 | 読んだ本 | Comments(2)

『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記ージャパン進化へのハードワーク』を読んだ

エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記―ジャパン進化へのハードワーク

大友 信彦/東邦出版

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ラグビーライターの雄、大友信彦氏によるルポルタージュ。2011年のワールドカップでの日本代表(以下ジャパン)の惨敗後にエディー・ジョーンズ氏がヘッドコーチに就任してから2015年のワールドカップ直前に至るまでの日々を克明に描いています。

ワールドカップの前に出版されるこのテの本はジャパンへの期待に満ちています。以前の大会でも、目一杯期待感を盛り上げてくれましたが、毎回結果には愕然とさせられていました。書き手本人がどう思っているかはともかく、本戦直前にいろいろな意味で水を差すような文章は書きづらいでしょうし、その後の活動にも制約がでてくる恐れだってあります。いわば無言のプレッシャーによる「言論統制」が行われてしまっているという状況なのです。その分、大会が終わってからはかなり厳しい論調の文が続くのですがね…。

ところが、2015年のワールドカップはこのテの本の期待感通り、いやそれ以上の結果をもたらしました。言わずと知れた南アフリカ戦での勝利です。あれ以降、ジャパンは発足以来最高の注目を浴び続けています。五郎丸選手を筆頭にメディアへの露出が激増しましたし、トップリーグの観客数も激増しました。

まさに「勝利はすべてを癒す」。練習のキツさに選手が不満を漏らしたこともあったようですが、エディー氏の指導が見事な結果を導き出した今となっては、そんなことすらも「エディージャパン」という物語の味わいを引き締めるスパイスの役割を果たすエピソードの一つとなっていますね。

ルポの内容そのものには特に目新しい部分はありませんでした。エディー氏の指導は単純明快。体格とパワーに勝る相手に勝つには、スピードを突き詰めることそのスピードを80分間継続させるフィットネスの向上しかない。故にそのフィットネスを身につけるために過酷な練習を課す。単純ながらなかなかできないことです。エディー氏は「日本人の特長は瞬間的なスピードと、与えられた課題を粘り強く最後までやり遂げる忍耐力にある。しかし今までの日本の指導者はこのことを信じていなかったのではないか?」という疑問を呈し、自らはその特長を最大限に活かした指導を行いました。ここがエディー氏を世界でも屈指の指導者足らしめている点です。自分が発した言葉に対しての責任感と執着が凄い。そして世間の期待以上の結果をもたらす。う〜ん。つくづく手放してしまったのが惜しい。

エディー氏を失ったサンウルブズは苦戦が続いています。ジャパンに限りなく近いチームではあるものの、エディー氏の指導の下で4年間しっかりと培った一体感を持つチームと急造のチームとの違いは限りなく大きいですね。マーク・ハメット(サンウルブズHC)、ジェイミー・ジョセフ(ジャパンHC)はどのような「改造戦記」をえがかせてくれるのか?期待と不安が半々です。




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# by lemgmnsc-bara | 2016-05-24 05:33 | 読んだ本

なんだかんだで読んだ本のことばっかり書いてます。たまに映画、時々食い物とドライブとラグビー観戦。


by 黄昏ラガーマン