カテゴリ:読んだ本( 1265 )

『10-ten-』を読んだ

10 -ten- (実業之日本社文庫)

堂場 瞬一/実業之日本社

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長距離ランナーの姿と、その集合体である駅伝チームの姿を描いた『チーム』、『ヒート』という作品が印象的な堂場瞬一氏のラグビー小説。大学ラグビーの強豪チームの姿を描いています。

主人公は所属するリーグ戦で4連覇を果たしている強豪城陽大ラグビー部キャプテンにして題名ともなった背番号「10」を背負い、試合の中で司令塔の役割を担うスタンドオフをポジションとする進藤と監督の七瀬。七瀬はその年の4月に、チームにヘッドコーチとして招かれたばかり。スタンドオフ進藤の父親でもあった前監督がリーグ戦第1戦後、急逝してしまったために急遽抜擢されたという設定です。七瀬は、進藤父が監督をしていた高校のラグビー部の教え子ではありますが、城陽大のOBではなく、城陽の一番のライバルチームである天聖大の出身という設定ともなっています。考えるだに色々と火種のありそうな前提ですね。明大ラグビー部の監督を早大出身者が務めるようなもんですから、現実にはほぼありえない状況です。まあ、日体大出の監督は結構各大学にいたりしますがね(帝京大の岩出監督などが該当します)。

城陽大はFWを全面に押し出し、手堅く手堅く攻めてペナルティーゴールやドロップゴールを狙い得点を重ねる、というのを伝統的な戦法とするチーム。この戦法は進藤父の徹底指導の下に築き上げられた「作品」で、監督が七瀬に代わっても選手たちは当然のことながらこの戦法を突き詰めて勝ちに行こうとします。しかし、この戦法では所属するリーグ戦は制することはできても大学選手権の覇権を握るまでには至りませんでした。七瀬は、進藤父の戦法に疑問を持ちながらも、学生たちが選んだことだとして口出しをせず、学生たちに「こんなラグビーで楽しいのか?こんな戦法で本当に大学日本一を掴めるのか?」を「自分たちで考えろ」と突き放します。両者の溝は埋まらないままにリーグ戦は進んで行き…というのがストーリー。さてさて勝負の行方は?というところであらすじの紹介はやめておきます。

先にも書いた通り、題名となっている「10」は背番号でポジションが決まっているラグビーではスタンドオフというポジションの選手が背負うもので、スタンドオフの選手はゲームの行方を左右する重要なポジションを任されることになります。それゆえ、良きにつけ悪しきにつけ目立つポジションでもあります。スター選手も数多いますが、ゲームの勝敗の責任を一身に背負わなければいけないキツいポジションなのです。私に然るべき体格と才能があったらぜひやってみたいポジションです。もっとも今の気持ちのままなら、ボールを持ったら全て自分が突っ込んじゃいそうな気がしますけどね(苦笑)。

さて、城陽大はいわゆる「伝統校」と言われている大学チームの悪い面を全て兼ね備えた存在として描かれています。カリスマ的な指導者と、伝統という言い訳を用意されたアナクロな戦法、余計なことに口出しして来る元スター選手のOB。城陽大はアップアンドアンダーを得意技とする「テンマンラグビー(FW8人とSH、SOの2名、計10人しかプレーに参加しないような戦法を揶揄するような表現)」を真骨頂とするチームとして描かれていますが、流石にこの戦法はアナクロ過ぎ。現在の日本でこの戦法を採用しているチームは少なくとも有名なチームでは皆無です。現在は総じて、どのポジションのプレーヤーでも、それなりのワークレートでフィールドプレーに参加することを求められるプレースタイルで、走り勝つことを目的とするプレースタイルのチームが多いようですね。しかしながら縦の明治に横の早稲田などという言葉もしっかり残っています。最近では帝京大の強さが群を抜いているため、明治も早稲田もないって状態が続いてますけどね。

今までのスタイルを踏襲してもそれなりには勝ち上がることはできるが、さらに一歩進むにはどうしたら良いか?プレーしている選手が本当に楽しさを感じるラグビーとは一体どういうものなのか?この物語で示される問いは、そのままいまのジャパンに対する問いでもあります。ティア2上位からティア1(世界のベスト8以上)にステップアップするためにはどこをどう改革するのか?この物語の中では、城陽大のチームは最終戦の後半40分で生まれ変わろうとします。ジャパンにはもっと時間があるのですから、2019年の本番までにしっかりと進化させてほしいものですね。



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by lemgmnsc-bara | 2017-12-01 11:13 | 読んだ本 | Comments(0)

『世界性生活大全「愛」と「欲望」と「快楽」の宴』を読んだ

世界性生活大全 「愛」と「欲望」と「快楽」の宴 桐生操の世界大全

桐生 操/文藝春秋

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世界の歴史上の著名人の下ネタ事情に詳しい桐生操氏の、ど真ん中のウンチク本。題名の通り、主に古代から中世の性生活について様々なエピソードを取り上げてくれています。

まあ、この本に関しては新しい発見はありませんでした。今までに上梓された本のダイジェスト版といった趣でしょうか。下ネタOKの飲み会の前に読んでおくと重宝しそうではありますがね…。

にんげん、金にせよ、地位にせよ「力」を得てしまうと、何故か「三大欲求」を過度に充実させる方向に目が向きますね。そのうち睡眠に関しては金も手間もあまりいりませんす、食欲に関しても、いかに食うことに執着があろうとも、一度に1tの食物を食うわけにはいきませんし、いかに珍味佳肴を集めてもいずれは限界がきます。何よりこの二つは個人で完結できる欲望です。

対して性欲だけは少なくとも自分の他に一人の人間は必要ですね。と、ここでセルフ突っ込みを二つほど。自慰と獣姦は「一人」で済むだろ?でも前者は実際の行為は一人で行うものですが、イメージの中では他者の存在を思い浮かべているはずですので完全に個で完結というわけではありませんし、後者は人間ではないとはいえ「他者」が必要となりますので、やはり個で完結するわけではありませんね。

世の「力」持ちたちは性欲だけは無尽蔵であり、それを満たすために貪欲になります。何しろ世界に異性は、「35億人よ」(byブルゾンちえみ)、同性愛者だって同じく35億人、バイセクシャルなら70億人の欲望の対象が存在するのですから。

私自身のことを鑑みても、単なる安サラリーマンではなく、例えば一国の王だったりしたら、性欲の充足のためにいろんなことを繰り広げてしまいそうな気がします。アタマの中で、ハーレムを持って選りすぐりの美女を取っ替え引っ替えしたいみたいな妄想を巡らしたことのない男はいないでしょうし、イケメンアイドルと自分が結ばれると夢想したことのない女子もいないでしょう。

性は結局のところ、自分のDNAを未来に残したいという欲求です。その欲求のためにいろんなことを発達させ、様々な制度を作ったり、争いを起こしたりと、文化だの文明だのを作り上げた人間という存在は、愚かで、賢い生物なんでしょうね。



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by lemgmnsc-bara | 2017-11-29 09:25 | 読んだ本 | Comments(0)

『鞄屋の娘』を読んだ

鞄屋の娘 (光文社文庫)

前川 麻子/光文社

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劇作家、演出家、女優として活躍する傍ら、作家としても数々の話題作を上梓している前川麻子氏の「出世作」。小説新潮長編小説新人賞受賞作です。

私はこの方と一度酒席を共にさせていただいたことがありますが、非常にサバサバとした方で、割と重たい話をサラリと話していたことが印象に残っています。ちょうどその時、演出していた芝居の出演者のオジサンたちについて、「何度注意してもできない、体が動かせてない」というようなお話をされており、その際は「まあ、そういう人もいるんだろうな」くらいに思っていたのですが、自分自身が50歳を迎えてみると、カラダもアタマも自分自身で思っているほどには働いていないな、と痛感させられることが多くなり、老いを迎えた人間の避けえぬ宿命なのだと、変なところで彼女の言葉を思い返しております。

さて、物語は帆布を使った鞄の制作者である父を持つ娘麻子が主人公。解説で主人公のなを「麻子」としたところにこの作品が作者自身の自伝的意味合いを持つ、と書かれていましたが、だとすると、かなり複雑な要素のカラミあった家庭環境の下で成長してきたことになります。父はもともと麻子の母以外の女性と結婚して一男を設けていましたが、その家庭と同時に麻子の母と男女の関係となり、先に作った家庭から飛び出す形で、麻子の母と結婚。そして麻子がまだ幼い時分には、また若い女と関係し家を出て行ってしまいます。父が鞄作りに使っていたミシンが部屋から運び出されることで、麻子はこの家庭が二度と修復できないものとなったことを悟ります。

こうして父性が欠如した環境化で育った麻子は、高校卒業後スタイリストとしての職を得、若いカメラマンと同棲しながら、同時にデザイナーとも付き合い、どちらの種なのだかわからない子供を身ごもります。父親不在の家庭に育った娘は男性という存在に対しての距離感がわからずに、様々な男性とすぐに深い仲になったり、あっさり切れたりするのだ、みたいな安っぽい心理分析のテキストみたいなことは書きたくありません。家族という体験が乏しいが故に知識や習慣に縛られることなく、自由で柔軟な関係性を築いたのだということにしておきます。

やがて男児を出産し、それと共に麻子はカメラマンと結婚し、一応「家族」としての体裁は整うのですが、さてこの「家族」はこのままの形をとり続けるのか、ということについては疑問符がついたままです。愛というものは強そうで脆いし、脆そうで強い。我が命を投げ出して家族を守ることもあれば、魅力的な人物に参ってコロリと全てを捨て去ってしまうこともあります。どっちに転ぶかは局面局面で変化し続けます。そして何が正解なのかについては誰もわかりません。当たり前だと思っている環境が実は非常に危ういバランスの上に成り立っているのだということを改めて気づかせてくれた一冊でした。



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by lemgmnsc-bara | 2017-11-25 10:16 | 読んだ本 | Comments(0)

『陰陽師 平成講釈 安倍清明伝』を読んだ

陰陽師 平成講釈 安倍晴明伝 (文春文庫)

夢枕 獏/文藝春秋

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安倍晴明がいかにしてこの世に生を受け、どのようにして陰陽師として世に知られることとなったかを描いた「安倍晴明ライジング」とでもいうべき作品。

寄席などの場で講談として語られた演目を文字で残した本が何冊が現存するそうで、そのうちの主に3冊ほどを種本としてまとめています。題目に「講釈」とある通り、作者本人が物語を講じる、という体で書かれており、「ライブ感」を出すために作者が執筆に取り掛かっている際の身辺の状況やら、直前に観た芝居やらをオハナシのマクラに持ってきて、本筋とは関係ないそれらをひとしきり語った後に、ストーリーが始まるという仕掛けも施されています。作者のエンターテインメント性が遺憾なく発揮された一冊であると言ってよいでしょう。

オハナシは遣唐使として名高い阿倍仲麻呂に関する記述から始まります。元来はもちろん日本人だった仲麻呂は『金烏玉兎集』、『ホキ内伝(ホキはきちんとした漢字があるのですが、変換するのが非常に面倒なため片仮名で表記しておきます)』の二冊を日本に持って帰ることを期待されて唐に派遣されますが、その二冊は当時としては国家の最高機密が書かれてある書であったため、時の中国皇帝はこれを渡したくないが故に、様々な難題を仲麻呂に吹っかけて書を渡さないよう目論むのですが、仲麻呂はその難題をどんどん解決してしまいます。困った皇帝は仲麻呂を無理矢理唐の要職に任命してしまいます。二冊の書の内容もさることながら、こんなに優秀な仲麻呂が日本に帰ったら日本が強敵になってしまうかも知れないと危ぶんだからです。仲麻呂についてはこの後やはり高名な吉備真備などとのカラミも描かれるのですが、まあこれはそこまでにしておきましょう。要するにそれだけの能力を持った人物の末裔であるとされる晴明は生まれながらに大変なポテンシャルを持っていたと言いたいがための前フリです。もっともそもそも阿倍仲麻呂と安倍晴明が演者であるとする説はかなり眉唾物なのだそうですが、面白くなればそれでいい、というのが講談の大原則。私もそれには賛同します。

で、話は飛んで少年に成長した晴明は都へと登ってきます。そこで時の帝が病に臥せっていることを聞きつけ、その病の平癒のための調伏を行うこととなります。そこで終生のライバルとでもいうべき、蘆屋道満と術比べをするという展開になるのです。元々が講談ですから道満側には九尾の狐までが味方して、想像するだにおどろおどろしい呪術で天皇を亡き者にしようという陰謀を巡らせます。

結果もし道満側が勝っていれば、日本はおそらく悪が栄える恐怖の国となり、今頃は半島北部の変な髪型の独裁者みたいな人物に牛耳られるか、あるいは他国に蹂躙されまくって分割されて国としての体をなしていなかったことでしょう。故にそんな危機から日本を救った晴明は空前絶後のスーパーヒーローだ、というわけです。

同じ名字のアベさんにも見習ってほしいものですが、どうも現実社会のアベさんは晴明より道満の方に近いような気がしますね…。



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by lemgmnsc-bara | 2017-11-25 09:25 | 読んだ本 | Comments(0)

『Number甲子園ベストセレクション 9人の怪物をめぐる物語』を読んだ

Number 甲子園ベストセレクションI 9人の怪物を巡る物語

スポーツグラフィックナンバー(編集)/文藝春秋

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スポーツライターにとっては、これに掲載されれば、まず食いっぱぐれはなくなると言われている一流スポーツ専門誌『Number』の記事のより抜き板。題名の通り甲子園を沸かせた9人の怪物たちについてのルポルタージュをたっぷりと収録しています。

まあ、それぞれの時代にそれぞれ怪物というのはいるものなのですね。マスコミの取材の方法から、報道の仕方までを変えたと言われた江川卓氏をはじめとして、PLのKKコンビ、5打席連続敬遠を食らったゴジラ松井秀喜、数々の激戦を制し決勝戦でノーヒットノーランを達成した松坂大輔、そして今年のドラフトの目玉だった清宮幸太郎まで。

個人的な思い入れの強さで言えば、やはり同世代である、桑田、清原のKKコンビになりますかね。その大会の優勝候補の筆頭だった、やまびこ打線の池田高校を圧倒した1年夏の甲子園準決勝から始まって、三年生最後となる夏の大会で優勝して見せた涙、明暗分かれたドラフトにそれぞれのプロ野球界での活躍。引退後の清原氏の騒動まで含めて散々酒の肴にさせてもらったような気がします。

松井の5打席連続敬遠はちょうど中継を最初から最後まで観てました。この試合ののちに一斉に巻き起こった明徳義塾へのバッシングに対し、当時「ルールの中で取り得る最良の作戦をとったまでの話で、全然責められる必要はない。正々堂々勝負することが高校生らしい、などという教育的見地などというやつが一番胡散臭いわ!!」という感想を持ったことを覚えています。これも随分と酒の肴にさせてもらいましたね。

私が高校野球に興味を多少なりとも持っていたのは松井の時代まで。故に松坂の快投も、ダルビッシュの奔放さも、大谷の球速もニュースで観た程度。清宮選手に関してもまだプロに入ってプレーしたわけでもないのに騒ぎすぎじゃね?ってな感想しか持てませんね。大器だ、怪物だと騒がれてプロ入りしたものの、鳴かず飛ばずに終わった選手なんぞ、それこそ掃いて捨てるほどいますからね。まあ、清宮選手がそんな有象無象の一人でないことを祈りましょう。

あとは、郷里群馬の代表校に注目するくらいですかね。特に近年躍進著しい健大高崎と同校の出身選手は気になっています。今年のシーズン後にロッテから自由契約となった種本選手の行方なんかは特に気になってはいますね。

今後、この本に載った人物たちを凌駕するような選手が出てくる可能性も大いにありますから、そうなったらまたTVにかじりつくかもしれません。10年後にこの本が、10人の、いや20人の怪物たちにバージョンアップされたら、野球というスポーツも往年の輝きを取り戻すのではないでしょうかね。



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by lemgmnsc-bara | 2017-11-25 08:50 | 読んだ本 | Comments(2)

『シャッター通りの死にぞこない』を読んだ

シャッター通りの死にぞこない (双葉文庫)

福澤 徹三/双葉社

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怪談のコレクターにして、ヤクザや半グレなど社会のアウトローを題材にした作品の多い福澤徹三氏によるコメディー作品。

主人公「影山清(偽名)」は表向きは街金で本業は闇金というヤバい金貸しの取り立て屋。

ある日、仲間とともに債務者である町工場に乗り込んだ影山。元利含めての一千万円を取り立てたまでは良かったのですが、仲間がその一千万円を持ち逃げしてしまいます。影山はその責任を問われ、保険金をかけられた上で、アル中で死亡という体裁を取り繕うために、監視付きで毎日強い酒をそれこそ浴びるように飲まされます。そしていよいよ最期の時も近いという状態になった際に、せめても苦痛を軽減させるために、と監視役の一人に覚せい剤の注射を願います。渋々ながらこれに応じる監視役。しかしこの覚せい剤は影山に思わぬ超人的な力を与え、影山は監視役の二人をなぎ倒して逃亡、勢いをかって、闇金の社長の元に乗り込んで、社長を半殺しの目に合わせた上でそこにあった三千万円を奪って逃亡。

で、しばらく身を隠そうとたどり着いたのは、東京から電車で二時間というロケーションを設定された、子鹿町という寂れた田舎町。駅前には題名にもなったシャッター通りが鎮座ましまし、座して死を待つばかりという風情です。

影山はほんの気まぐれで立ち寄ったこの街で、訳のわからない連中に絡まれているうちに、虎の子の三千万円を紛失してしまいます。で、この三千万円を取り戻すためにこの街に止まらざるを得なくなったのですが、自分の身分を広告会社の社長と偽ったおかげで、この死にかけの商店街の町おこしを手伝わされることとなります。そこで巻き起こるドタバタがこの作品の味わいです。

読み進めるうち、私の郷里の二つの街を思い浮かばされました。我が郷里群馬の県庁所在地である前橋市などは典型的なシャッター通り商店街が軒を連ねています。目抜き通りだったアーケード街の一角を占めていた店の一階部分がさびた鉄骨の骨組みだけを残して駐車場になっている光景などは、寂しさを通り越して恐怖感すら感じるほどです。私のホームタウンである高崎もしかり。私が若かりし頃は、高崎の柳川町といえば、群馬一の繁華街であり、結構有名な歌手がクラブ巡りに来ていたものですが、今やアーケード街の明かりすらケチっている有様で、昼でも薄暗い。人が来るわけありません。中心地である前橋、高崎にしてこの体たらくではその他の街は推して知るべし。栄えるのはイオンモールばかりなり。風情も個性もヘッタクレもない状態です…。

私の故郷のオハナシはさておき、ストーリーは意外な出来事の連鎖により、大逆転が起き、最終的に小鹿町は新しい繁華街として見事に生まれ変わることとなります。しかしながら、主人公影山の未来は明るいとはいえないものとなっています。途中から登場した古いタイプの侠客であるアサカツこと朝尾勝太郎氏が物語を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、最後のオチまでさらってしまうのです。

このアサカツ氏は、自分が厄介者であるという自覚が全くなく、己の信念のみに従って行動し、結果として周りの人間全てが酷い目にあう、という役回りを見事に演じています。実写化すると仮定して、故横山やすし氏あたりに演じさせたら、ピッタリハマったのではないかと思いました。ちなみに主人公影山は阿部サダヲ氏あたりが適役かな、と思います。

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by lemgmnsc-bara | 2017-11-18 08:25 | 読んだ本 | Comments(0)

『岳飛伝 十一 烽燧の章』を読んだ

岳飛伝 十一 烽燧の章 (集英社文庫)

北方謙三/集英社

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岳飛伝も巻を重ねること11冊目。いよいよ本格的な戦闘シーンが描かれることとなります。

とはいえ、作者が文中の登場人物に吐かせるセリフに「もはや、戦いの勝ち負けだけで世の中が変わる時代ではなくなった」という主旨のものがある通り、武力に優れた勢力が勝って「国」を名乗ったとしても、その治世は長くは続かないだろう、という思想が暗示されています。梁山泊軍が陰に陽に発達させたモノの流れを背景にした貨幣経済が民の意識までをも変革させてしまったからです。

史実としてはこの後、元が出現し、中国のみならず、欧州近辺までその勢力を拡大し、占領した都市では、人間のみならず、勝っていた小鳥までをも皆殺しにしたなどと伝えられるような「力の時代」が出来して、民の意識はもう一度大きく古代に戻ることになるんですけどね。

さて、今巻のハイライトは呼延凌率いる梁山泊軍の本軍と、金国の主力軍とのぶつかり合いです。お互いの大将同士が一騎打ちに近い形で切り結んだ激戦は、決着を見ないままに一旦終結。当然リターンマッチはあるでしょうし、金国との連携を保ちながら、一方で二つの勢力の力が弱まることによる漁夫の利を得ようとする南宋の動きからも目を離せません。

王清、秦容などのメインキャラたちの人間的成長(武や商いだけに生きてきた若者が好きな人にきちんと好きだと伝え、妻にするなど)が描かれる一方で、「主人公」岳飛は自分の子(現妻の連れ子も含む)の成長を目の当たりにし、自分の人生が後半戦に入ったことを徐々に思い知らされていきます。そんな日々の中、岳飛は南宋内に居残った旧岳飛軍三千人の潜伏先を全て訪ね歩き、来るべき大きな戦いへの準備を進めていきます。

最終的には兵力で一番劣る、梁山泊軍・岳飛軍の連合軍が、南宋、金国の二大勢力を相手にどこまで食い下がり、彼らが戦う根底をなす志をどこまで実現できるのか、という展開になりそうですが、まだまだ波乱は起きそうですね。



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by lemgmnsc-bara | 2017-11-18 07:39 | 読んだ本 | Comments(0)

『よもつひらさか往還』を読んだ

よもつひらさか往還 (講談社文庫)

倉橋 由美子/講談社

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実社会のすぐ近くにありそうで、かつ普通の人間にはなかなか気づくことのできない異界や、あやかしの類を描いた作品で知られる倉橋由美子氏の、作風ど真ん中の連作短編集。

主人公は慧君という若者。この「慧」という字を使われてしまうと、最近バラエティー番組で売れっ子になっている某アイドルグループの一員を思い出してしまうのですが、主人公の方の慧君は、現実の慧君と、美形の優男というイメージはカブるものの、もう少し繊細で、特に和歌に造詣が深く巨額な資産を持つ人物の孫という設定となっています。もし実写化するとしても、現実の慧君をそのまま主人公に据えたのでは、少々イメージが違う、というオハナシになってしまうと思います。

さて、作中の慧君は祖父から、とあるクラブを譲り受けます。金持ち同士が社交場とするための贅沢な建物。物語が進んでいく中で、立派な庭園があったり、プールがあったりということも描かれます。そしてそのクラブの中にあるバーに慧君は入り浸ることとなります。お金の心配なく、昼間からお酒(それも焼酎とか第三ビールみたいなしみったれたものでない、おしゃれで高価そうなお酒)をかっ喰らえるだけでも、すでにして異界の住人である資格は十分にありますが、バーテンダー九鬼氏からサーヴされるカクテルを飲むことで、さらなる異空間へと慧君はさまよい出ていくことになるのです。

そしてそれぞれのカクテルにちなんだ異空間の中で、様々な女性と束の間の逢瀬を楽しむこととなります。

中でも極めつきなのは、髑髏と化した女性との逢瀬です。舌だけは生々しい桃色のものを持つ、この髑髏女性は懇ろになった慧君の前で、日毎に実体化していきます。全身の骨格が揃い、その骨に肉をまとい始め、ついには人間の老女として蘇ります。そしてその肉体はどんどん若くなっていき、妙齢の女性から幼児をへて、ついには新生児の状態にまでたどり着きます。さて、この恋の行方やいかに?

ってな感じの奇妙なオハナシばかりが収められたこの一冊の題名は『よもつひらさか往還』、なるほどこの世と様々な「あの世」を行き来する慧君の存在をうまく表していますね。クラブハウスは黄泉路の門、九鬼氏はかなり融通のきくサエの神と言ったところでしょうか。物語としての類型はともかく、不思議な世界を楽しめた一冊でした。



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by lemgmnsc-bara | 2017-11-18 06:26 | 読んだ本 | Comments(0)

『暗くて静かでロックな娘』を読んだ

暗くて静かでロックな娘 (集英社文庫)

平山 夢明/集英社

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久々に読んだ「紙」に書いてあるエンターテインメント作品集。平岡氏の作品を読むのも『ダイナー』以来です。「本棚の片っ端から読んでいく作戦」の一環として、本当に本棚の一番隅から引っ張り出した一冊。

平岡氏は元々、階段を収集してそれも本にまとめることから出発した方で、のちに小説を書くようになってからは、バイオレンスとスプラッターな描写に満ち溢れながら、どこかユーモアとペーソスを感じさせる作品を書き続けていましたが、この短編集は恐怖やグロの要素よりも、むしろ哀愁漂う作品ばかりが収められています。

出てくるのは、紺の腰巻によれば「社会の鍋底」にいる人物たち。ゆくあてもなく、行き倒れかけていた男を自宅に連れ帰った、両親のいない幼い兄妹に、義理の父と実の母から虐待を受け続け、ついに死を迎えるも、実の母の方から「飼い犬が死んだときの方が、マジ泣けた」などと言われてしまう少女、自殺未遂を繰り返しては、怪しげなイタコに死んだ娘を憑依させ(もちろんイタコはインチキながら周到な演技で娘のフリをしているだけ)、その娘の世話を焼くことで、辛うじて精神の平静を保っている女等々…。

以前読んだ平岡氏の作品の世界が目の当たりに展開したとしたら、それは吐き気を催さざるを得ないグロな光景だったと思いますが、この作品集の描き出す世界は、極力血の流れる量を抑えつつ、実は登場人物たちの心の中ではそれこそ大量の血が流れています。人間らしい生き方だとか、人間の尊厳というお題目を唱えながら眺めれば、心の傷の方がより深刻だと言えるでしょうし、それこそが作者の意図したことなのだろうと勝手に推測しておきます。

で、登場人物たちが尊厳を捨てた生き方を選ばざるを得なかった背景には貧困というごく現実的な問題が横たわっています。そういう意味では、人間が一番恐怖すべきなのは貧困という状況なのかもしれません。金がありさえすれば、まともな家庭生活が営め、まともに成長できたであろう人物たちがどんどん壊れていく…。こういう光景は作り事の中にしか存在しないように思えて、実は我々のすぐ隣に存在しているオハナシです。ほんのちょっとしたひずみが人の生き方をも大きく変えてしまうという恐怖をしっかり味わわせていただきました。






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by lemgmnsc-bara | 2017-11-16 11:24 | 読んだ本 | Comments(0)

『恐怖・呪い面〜実話都市伝説』を読んだ

恐怖・呪い面~実話都市伝説 (TO文庫)

山口敏太郎/ティー・オーエンタテインメント

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都市伝説やら、怪談やら、UFOやら、世の中に跳梁跋扈する恐ろしくも不可思議な事象について数々の著作がある、山口敏太郎氏の怪異録。先日紹介した岩井志麻子氏の『現代百物語』などに比べると、より幽霊とか妖怪とか正体不明の存在寄りのオハナシが収められています。

山口氏は幼少の頃より、怪異現象に親しみ、小学生の時にはすでに「妖怪博士」というあだ名を奉られています。彼の元には様々な怪しいモノゴトが集まってきてしまうのです。通学途上の小川で死体を見つけて見たり(これは「実際の世界」の怖いお話ですがね)、銀色の大きな怪人に襲われてみたり、水洗便所から人の手首が出てきてみたり…。中学の時にはボーイスカウト活動の一環として参加したキャンプで、テントを張った河原で四国に広く伝わる「狗神」を作り出す際の残滓にまで遭遇したりします。

いやはや。私とこの方は同年代のはずなのですが、私自身は一度もこういう怪異に出くわしたことがありません。単純に暗闇が怖かった時代もありましたが、それも自分自身が勝手に恐怖していただけのこと。墓場の近くを通ろうが、廃屋の脇を通ろうが、怪しげな気配すら感じたことがないのです。幸運なのか、鈍感なのか?人々のココロに「恐怖」という感情を生じさせる過程や内容に非常に興味があるというのもおそらくは実体験がないからなのでしょう。

山口氏は某大手運送会社にも勤務していたことがあるそうで、その勤務先である支店には、建設の際に無理矢理移動させた稲荷の祠があったそうです。そして、その祠のすぐ脇には幹線道路が走っていたそうですが、よくこの祠のすぐ脇では事故が起こったそうです。その支店の場所というのは、以前当家が住んでいた場所のすぐ近くで、大体見当がつきます。私もよく自家用車でその近くを通った記憶がありますので、その話を読んだときは少し背筋がゾワゾワしましたが、結局その道路では私は事故を起こしていませんから、実害を受けてはいません。鈍感で助かることもあるんですね(苦笑)。ちなみにもう既に二度ゴールドで更新しています。全くのペーパーではなく、週に一度は必ず運転していますから、祟りを上回るドライビングセンスの持ち主なのだということにしておきましょう(笑)。

さて、この本の最大の怪異は標題ともなっている「呪い面」です。この面を人前に出そうとすると、必ずスタッフの縁者に大きな不幸が起こるのです。TV番組でも紹介され、その番組を観た小学生の間で「番組で呪い面を観た人物が次々死んでいく」という都市伝説が生まれ、恐怖を巻き起こしたそうです。

事実にせよ、偶然にせよ、単なる怪異現象の遭遇者であったはずの著者は怪異の「創造者」になってしまったというわけです。そうしたプロデュース力を買われ、青梅の妖怪町おこしや、柳ヶ瀬商店街のお化けイベントまで任されたりします。ついには怪しいものたちを利用して生きていくことになったわけで、一番怪しいのは山口氏自身なのかもしれませんね。



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by lemgmnsc-bara | 2017-11-04 16:41 | 読んだ本 | Comments(0)