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『捕物帳の系譜』を読んだ

すこし前の話になりますが、9月12日に練馬区の区民文化講座というものを聴く機会に恵まれました。
演題は「五味康祐の時代小説の魅力」、講師は時代小説を専門分野とする評論家縄田一男氏でした。五味康祐(故人)という作家は練馬に在住していた期間が長く、そのほとんどの作品を練馬で書くなど練馬に縁の深い作家なのだそうです。代表作はついに未完のまま終わった『柳生武芸帳』。残念ながら私はまだ五味氏の作品はまともに読んだことはありません。野球小説のアンソロジーに収録された『一刀齋は背番号6』という作品のみ読んだことがありますが、剣豪伊東一刀齋が現在の世(とはいっても昭和33年当時)によみがえり、野球選手として、ホームランをぽんぽん打ちまくるという奇抜な設定が頭に残っているのみで、氏の真髄である時代小説にはまったく触れていません。

しかしながら、縄田氏の講演はまことに分かりやすく、五味氏の魅力を表現していました。自らを「たこ坊主」(たしかにそう形容するにふさわしい堂々たる体格と短髪でした^^)と呼んだり、大石内蔵助を演じる片岡千恵蔵のモノマネなど、聴衆に対するくすぐりも満載で、なかなか楽しませてもらいました。

講演の終了後に買い求めたのが標題の書。サインまでしてもらっちゃいました^^。


捕物帳の系譜

縄田 一男 / 中央公論新社

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捕物帳という日本独自の探偵小説の歴史を掘り起こし、その代表的な作品として、岡本綺堂の『半七捕物帳』、佐々木味津三の『右門捕物帖』、野村胡堂の『銭形平次捕物控』の3作品を取り上げ、論じています。

この3作品はいずれもTVドラマ化や映画化され、それぞれヒットシリーズとなりました。それゆえ、私のこの3作品に対するイメージは娯楽性の強いエンターテインメント作品であるというものだったのですが、縄田氏の解説によれば、そうそう単純に読み飛ばせる娯楽作品ではなかったようです。

まず、「捕物帳」の起源とされる『半七捕物帳』。この作品の発表当時(今もですが)日本の中心だった東京に、地方からたくさんの人々が流れ込み、他人同士が暮らす街になってしまい、古くからあった地域共同体としての「江戸」が急速に失われていったそうです。その失われつつある「江戸」を『半七捕物帳』を通じて描き出すことこそが、作者岡本綺堂の真の意図ではなかったかと縄田氏は読み解いています。

『右門捕物帖』は純文学の作家としてデビューし、あくまで純文学を志向しながらも、生活のため大衆文学に転じた佐々木味津三の無念さが秘められているそうです。いまでこそ、純文学と大衆文学の垣根はあって無きが如しですが、当時純文学の作家とみなされていた佐々木味津三が大衆文学に転じたことは「純文学に対する裏切り行為」としてずいぶんと世間からも文学仲間からも非難されたそうです。縄田氏の解説によれば、後に佐々木味津三はこの『右門捕物帖』をひとつのステップとしてよりスケールの大きな歴史大作を上梓し、大反響を呼ぶこととなります。とにもかくにも作品を発表し続けることによって新しい境地を拓き、世間からも文学界からも認められる存在へと進化して行ったのだそうです。

『銭形平次捕物控』は、作者野村胡堂が理想の世界として追い求めた「法のユートピア」が描き出されています。すなわち、「罪を憎んで人を憎まず」という精神が徹底されているのです。具体的には、本来奉行所で裁かれなければいけない罪人を、平次が自分の判断で許して、逃がしてしまったりすることです。平次の上役である同心たちも平次の義侠心に共鳴し、平次の越権行為を黙認する。温かみのある人情に満ちた世界。これこそが野村胡堂の求めた理想郷だというのが縄田氏の分析でした。

読み終えて、改めて時代劇が観たくなりました。しばらくは往年の名作を借りてきて、集中的に観てみようと思います。
by lemgmnsc-bara | 2009-10-02 21:44 | 読んだ本

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