2009年 08月 30日
プチ修学旅行(京都逍遥その1)
2009、私の夏休み&旅の思い出!
8/6(木)は京都にある研究所での会議に出席するため、京都に出張しました。で、会議は午前中で無事終了してしまったので、午後半休を取って、京都見物としゃれ込みました。これまでも京都への出張自体は結構あったのですが、ほぼ一日取られていたため、落ち着いて京都見物なんぞするのは実に10年ぶりくらいのことです。
当日はガイドブックなど持っていなかったので、とりあえず、歩いていける範囲にある神社仏閣に行こうとだけ決めて、京都駅の市街地マップをチェック。東西の本願寺と三十三間堂、それに方広寺を選択しました。
当日はドピーカンで最高気温も32℃。街歩きには快適とはいえないコンディションでしたが、歩くと決めたからには歩く!ということでまずは東本願寺へ。
ここは拝観料が無料でしたが、平日だけあってあまり観光客がいませんでした。
だだっ広い敷地の中にある、どでかい本堂の中は撮影禁止。大きな仏像があったというイメージしか残っていません。それよりもひんやりとした空気のありがたみの方が強く印象に残っています。
続いて西本願寺へ。駅のマップでは大した距離ではないというイメージがあったのですが、方角を間違えたらしく、延々と歩きました。
こっちも敷地がだだっ広い上に建物がでかい。なるほど、この二つの寺が一つにまとまっていたら、強大な勢力となったことでしょう。家康が内部対立をたくみに煽って二つに分裂させたのもむべなるかな、というところです。
本堂と講堂を結ぶ通路。東よりも西のほうが金色の装飾が施してある設備が多く、やや派手な印象。
西本願寺を後にして、三十三間堂を目指します。この時点で午後2時前後。一日のうちで一番暑い時間帯です。道路を走る、バスやタクシーに何度も誘惑されそうになりましたが、日陰で休んだり、ペットボトルのお茶を一気飲みしたりしながら、なんとか歩き続けます。
西本願寺から歩くこと20分。鴨川にかかる七条大橋です。
涼しい川風に吹かれながら小休止。日本史の断片的な知識を思い浮かべ、しばし近世の京都に思いを馳せます。
七条大橋を渡ると三十三間堂はすぐでした。高校時代の修学旅行以来の訪問です。ちなみに高校時代は東西の本願寺には行きませんでした。当時は適当に投票して行き先を決めたので、どうでもいいような場所に行った記憶がおぼろげながらあります。三十三間堂のウリはなんといっても圧倒的な数の千手観音像ですね。「よーく探すとかならず自分にそっくりな仏様が見つかる」当時のガイドの言葉を思い出しながら見てみましたが、際立って特徴的な仏像はありませんでした。それよりも千手観音の前に展示されていた四天王の像などのほうがよほど印象に残りましたね。
内部は写真に撮れませんので、外部の写真をパチリ。千本通し矢が行われるという廊下です。
別に普通の廊下ですな^^。
三十三間堂の次は歩いて300mほどのところにある方広寺です。ここには家康が豊臣家にいちゃもんをつけた「国家安康、君臣豊楽」という文字が刻まれた鐘があるところです。
鐘はすぐに見つかりました。ちゃんと「国家安康の鐘」と表示してあります。ただし、文字はすべて削られたらしく、表面は無地でした。境内には観光客の姿は一人も見当たりませんでした。まあ、見所がひとつしかないんじゃ仕方ありませんが、近所の寺にでも行ったような錯覚を覚えました。
最後の最後、おまけに方広寺のすぐ隣にある豊国神社を見ました。秀吉の馬印千成ひょうたんをかたどった絵馬が多数奉納されてました。
ここも参拝客は一人もなし。こんなことで経営が成り立つんですかね?他人事ながら少々心配になりました。
それにしても暑い半日でした。あんな気温の中、盆地を歩くもんじゃありませんな。飲み干したペットボトルが3本。費やした汗拭きシートが5枚。歴史に思いを馳せるより熱射病に気を取られた京都逍遥でした^^;;
8/6(木)は京都にある研究所での会議に出席するため、京都に出張しました。で、会議は午前中で無事終了してしまったので、午後半休を取って、京都見物としゃれ込みました。これまでも京都への出張自体は結構あったのですが、ほぼ一日取られていたため、落ち着いて京都見物なんぞするのは実に10年ぶりくらいのことです。
当日はガイドブックなど持っていなかったので、とりあえず、歩いていける範囲にある神社仏閣に行こうとだけ決めて、京都駅の市街地マップをチェック。東西の本願寺と三十三間堂、それに方広寺を選択しました。
当日はドピーカンで最高気温も32℃。街歩きには快適とはいえないコンディションでしたが、歩くと決めたからには歩く!ということでまずは東本願寺へ。
ここは拝観料が無料でしたが、平日だけあってあまり観光客がいませんでした。
だだっ広い敷地の中にある、どでかい本堂の中は撮影禁止。大きな仏像があったというイメージしか残っていません。それよりもひんやりとした空気のありがたみの方が強く印象に残っています。
続いて西本願寺へ。駅のマップでは大した距離ではないというイメージがあったのですが、方角を間違えたらしく、延々と歩きました。
こっちも敷地がだだっ広い上に建物がでかい。なるほど、この二つの寺が一つにまとまっていたら、強大な勢力となったことでしょう。家康が内部対立をたくみに煽って二つに分裂させたのもむべなるかな、というところです。
本堂と講堂を結ぶ通路。東よりも西のほうが金色の装飾が施してある設備が多く、やや派手な印象。
西本願寺を後にして、三十三間堂を目指します。この時点で午後2時前後。一日のうちで一番暑い時間帯です。道路を走る、バスやタクシーに何度も誘惑されそうになりましたが、日陰で休んだり、ペットボトルのお茶を一気飲みしたりしながら、なんとか歩き続けます。
西本願寺から歩くこと20分。鴨川にかかる七条大橋です。
涼しい川風に吹かれながら小休止。日本史の断片的な知識を思い浮かべ、しばし近世の京都に思いを馳せます。
七条大橋を渡ると三十三間堂はすぐでした。高校時代の修学旅行以来の訪問です。ちなみに高校時代は東西の本願寺には行きませんでした。当時は適当に投票して行き先を決めたので、どうでもいいような場所に行った記憶がおぼろげながらあります。三十三間堂のウリはなんといっても圧倒的な数の千手観音像ですね。「よーく探すとかならず自分にそっくりな仏様が見つかる」当時のガイドの言葉を思い出しながら見てみましたが、際立って特徴的な仏像はありませんでした。それよりも千手観音の前に展示されていた四天王の像などのほうがよほど印象に残りましたね。
内部は写真に撮れませんので、外部の写真をパチリ。千本通し矢が行われるという廊下です。
別に普通の廊下ですな^^。
三十三間堂の次は歩いて300mほどのところにある方広寺です。ここには家康が豊臣家にいちゃもんをつけた「国家安康、君臣豊楽」という文字が刻まれた鐘があるところです。
鐘はすぐに見つかりました。ちゃんと「国家安康の鐘」と表示してあります。ただし、文字はすべて削られたらしく、表面は無地でした。境内には観光客の姿は一人も見当たりませんでした。まあ、見所がひとつしかないんじゃ仕方ありませんが、近所の寺にでも行ったような錯覚を覚えました。
最後の最後、おまけに方広寺のすぐ隣にある豊国神社を見ました。秀吉の馬印千成ひょうたんをかたどった絵馬が多数奉納されてました。
ここも参拝客は一人もなし。こんなことで経営が成り立つんですかね?他人事ながら少々心配になりました。
それにしても暑い半日でした。あんな気温の中、盆地を歩くもんじゃありませんな。飲み干したペットボトルが3本。費やした汗拭きシートが5枚。歴史に思いを馳せるより熱射病に気を取られた京都逍遥でした^^;;
by lemgmnsc-bara
| 2009-08-30 20:40
| 雑談